5 公冶長第五 15

Last-modified: Wed, 30 Mar 2022 18:53:51 JST (765d)
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☆ 公冶長第五 十五章

 

 子貢問曰 孔文子何以謂之文也 子曰 敏而好學 不恥下問 是以謂之文也

 

 子貢(しこう)問ひて曰く、孔文子(こうぶんし)は何を以って之を文(ぶん)と謂(い)ふや。子曰く、敏(びん)にして学(がく)を好(この)み、下問(かもん)を恥(は)ぢず。是(ここ)を以って之を文と謂ふなり。

 

☆ 意訳 (心理屋の勝手解釈)

 先生が亡命したとき、最初に立ち寄ったのが隣国の衛(えい)です。この衛の王さんは何とも評価し難(がた)い、捉(とら)えどころのない霊公(れいこう)でした。我儘(わがまま)身勝手で無能愚鈍のように見せながら、実に鋭く深く相手を見抜いていて、決して敵に付け入らせない。正(まさ)に狸(たぬき)、これぞ本物の大古狸だったようです。配下の使い方も見事なものでした。その配下である三人の家老の筆頭が、孔圉(こうぎょ)という辣腕(らつわん)の人物、霊公にとっては、実に役に立つ小悪党だったのではないでしょうか。この孔圉の身勝手さは、魯の正史である「春秋」の左氏伝にも、孔子に諫(いさ)められた、と記載されているほどです。政治家としては有能であっても、そのように人格的には問題の多い、戴(いただ)けない人物だったようです。

 諡(し)、贈り名というのは、死後その人の業績や生前の生き様(ざま)に相応(ふさわ)しい名前が贈られるものです。霊公などは、掴(つか)み所のない古狸で正体不明であったし、王さんとしての職務をちゃんと果たしているとはとても思えなかったのに、生前を振り返ってみると、あの弱小な衛国を美事に守り抜いていた訳で、若しや素晴らしい政治的手腕を発揮していたのかと、評価を混乱させるものがあります。それ故に「霊」という捉(とら)えどころのない存在を意味する諡(おくりな)が最も相応しい、と得心がいきます。

 しかし・・・でも・・・と子貢は悩みました。あの孔圉に「文」という諡は如何(どう)考えても納得がいかない。霊公の娘婿ではあるし、賄賂は蒔き放題だっただろうし、息のかかった者は何処(どこ)にもいるだろうし・・・。しかしそんなことで諡が決められることはないだろうし・・・

 「文」という諡(おくりな)は、諡の中でも最上のものです。万人から尊敬されるような立派な人物に対して贈られる名前のはずです。

 悩み倦(あぐ)ねた子貢は、先生に尋(たづ)ねました。

 先生、孔圉(こうぎょ)は孔文子と諡されましたが、何故(なぜ)あの素行の芳(かんば)しくない人物に文という偉大な名前が贈られたのでしょうか。

 先生は言われました。

 彼は、賢く機敏に、臨機応変な対応で難局を乗り越えてきました。而(しか)もその上彼は、学問を好む人でした。それに加えて彼の素晴らしい点は、分からないことは目下の者に対しても、下らない見栄を張ることなく、素直に教わっていたことですね。これは普通中々できることではありません。自分の無知を曝(さら)け出すことは、自分を実際よりも良く見せたいと思っている人にとっては、実に恥づかしいことですから。これらの孔圉の特筆す可き点は、「文」という諡が贈られる必要条件を満たしています。このような理由から、孔圉の文という諡は不当ではないということなのです。

 つまりは、まあ「君子は必ず文なれども、文必ずしも君子ならず」ということですね。文という諡をもらったからといって、だから君子だということにはならない、と理解すれば良いのではないですか。

 

☆ 補足の独言

 主観的な感情論や個人的な好悪(こうお)からは、こんな人に文なんてとんでもない、という子貢の思いが当然でしょう。孔子の中にも同様の思いがあったはずです。しかし、総ての人は平等に対等に尊重されねばなりません。それは、約束事を、感情を交えずに励行(れいこう)することです。正当な理由であれば、個人的感情を横に置いて、客観的に筋(すじ)(論理、理屈)を認めること。そしてそれが望ましいことか否かは切り分けて確(しっか)りと考えること。これが礼の基本になることだと思います。そして、この態度が孔子の基本姿勢ではないでしょうか。