5 公冶長第五 16

Last-modified: Thu, 14 Apr 2022 18:26:03 JST (750d)
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☆ 公冶長第五 十六章

 

 子謂子産 有君子之道四焉 其行己也恭 其事上也敬 其養民也惠 其使民也義

 

 子、子産(しさん)を謂(い)ふ。君子(くんし)の道(みち)、四(よつ)有(あ)り。其の己(おのれ)を行(おこな)ふや恭(きょう)。其の上(かみ)に事(つか)ふるや敬(けい)。其の民(たみ)を養(やしな)ふや恵(けい)。其の民を使(つか)ふや義(ぎ)。

 

☆ 意訳 (心理屋の勝手解釈)

 孔子の生国(しょうごく)魯(ろ)の南西にある小国鄭(てい)に、公孫僑(こうそんきょう)、字(あざな)を子産(しさん)と言う偉大な政治家がおられました。先生は若いころ孟孫家(もうそんけ)の援助で、周(しゅう)の国に留学したことがありますが、その行き帰りに鄭の国に寄って、この偉大なる政治家子産に私淑(ししゅく)しました。若き日の先生が最も大きく薫陶(くんとう)を受けた方です。

 その子産のことを先生はこのように言われました。

 子産こそは君子の中の君子でした。本当に心の大きな人、すなわち君子と呼ばれるに価する希有(けう)なる人です。

 こういった君子には、四つの徳という可き長所があります。一つは自分自身の在り方です。それは身を慎んで相手を思い遣り、強引な自己主張や出しゃばった行動をとらないことです。二つには目上の人に仕えるときの在り方です。それはその人を敬愛し尊敬して真心を尽くすことです。三つ目と四つ目は、民に対する姿勢です。民に対しては、生活の大変さを思い遣って、少しでも生活が楽になれるように、恵みに満ちた言葉や配慮ある政策で以て民の日々の営みを支えることです。そして民に労役を課するときには、農閑期などの時期を配慮し、負担が最小限で済むように考えるなど、皆が納得できる公正な筋の通った方策を講じることです。このようなことが実に美事に為されていたのが子産です。

 

☆ 補足の独言

 人は誰でもものを見るときに、その対象に自分の気持ちを投影して認識します。

 嫌な奴、という先入観があると、その嫌な奴という先入観が正しいことを確認するために都合の良い面を、無意識に誇張して「矢っ張り」と確認できた心算(つもり)になっています。先入観と合わない面があると、そこは無視をするか、ご無体な屁理屈を持ってきて辻褄(つじつま)合わせをしてしまうものです。相手に対して善い人、立派な人という先入観を持っていても同じことです。

 では、先入観なしで認識すればよいのか、というと、それは不可能なのです。人の脳のもっている能力では、先入観の未(ま)だできていない対象は認識不能だからです。

 認識と理解との関係を調べてみますと、面白い結果が出てきます。それは、否定的な先入観で以て認識すると、誤解が非常に増え、肯定的な先入観で以て認識すると、客観的により正しいと確認できる理解が増える、ということです。

 若き日の孔子は、子産に理想の君子像、人間像を感じ取って、それが子産に対する先入観となったのでしょう。孔子の求めていた理想は「恭、敬、恵、義」です。それを子産から教わった、ということは、孔子の信念、理念の中にそれらがあった、ということです。その実際を子産が孔子に対して実践してくれることによって意識化することができた、ということでしょう。政治理念等では子産と孔子との間にはずれがあるように思われます。恐らく、君子の四つの道というのも、子産には微妙に異なった思いがあることでしょう。これは飽く迄も孔子の思いです。孔子にとって一番大切なことは、心が正しくあることです。それを「仁」と言い、謙虚に思い遣りをもって只管(ひたすら)皆がしあわせに暮らせる世界を目指して努力していくことを意味します。孔子にとっては「恭」も「敬」も「恵」も皆思い遣りの具体的な実践です。そして、思い遣りは優しさですが、その思い遣りが皆のためになるためには、広い視野を持った厳しさが必要です。それが「義」、皆が納得のいく正しい義です。

 子産の心の世界をそのように観た孔子は、それが自分の中で、揺るぎない核となって限りなく成長していったのではないでしょうか。

 子産もまた、このような孔子に対して、理想の青年像、という先入観が持てたものと思われます。