5 公冶長第五 17

Last-modified: Sun, 24 Apr 2022 23:18:15 JST (740d)
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☆ 公冶長第五 十七章

 

 子曰 晏平仲 善與人交 久而敬之

 

 子曰く、晏平仲(あんぺいちゅう)、善(よ)く人と交(まじ)はる。久(ひさ)しくして之を敬(けい)す。

 

☆ 意訳 (心理屋の勝手解釈)

 魯の隣国斉(せい)には、鄭(てい)の子産(しさん)と並び称される賢人政治家として名高い、晏平仲(あんぺいちゅう)(晏嬰(あんえい))という方がおられました。子産よりは若く、孔先生の先輩になる年代の方です。彼は、自分自身は厳しく質素倹約を励行(れいこう)し、他者(ひと)に対しては謙虚な姿勢で筋を通したので、斉の民からは絶大なる信頼を得て、尊敬されていました。主君に対しては決して媚び諂(へつら)うことなく諫言(かんげん)したので、疎まれもしましたが矢張り絶大なる信頼を得て愛されていました。正に先生の理想とする君子像に当て嵌(は)まるような人でした。

 先生は若いころ斉に留学しましたが、その時晏嬰と語り合っています。その結果は、先生は斉に仕官しようとしたのですが、この晏嬰の反対に遭(あ)って御破算(ごわさん)になっています。

 このような因縁のある晏嬰に対して、先生はこのような評を言っておられました。

 晏平仲(あんぺいちゅう)は常人離れした長所を有(も)っています。それは他者(ひと)への関わり方が美事だ、ということです。

 社交的な関わりや一時的な関わりに於いては、誰でも礼を尽くした思い遣りのある対応ができるものです。然し長く付き合い続けていると、馬脚(ばきゃく)を露(あらわ)すというか、馴(な)れ親しむことで甘えが生じて礼を失することが増えるものです。私なども子路に対しては随分失礼なことを言って親交を深めておりますが、それはそれで良いことです。が、身内でない関係に於いては、失礼は避けなければなりません。この失礼が諍(いさか)いの元になるからです。上辺(うわべ)の誠意や見せかけの善意は、持続できるものではありません。本心からの誠意でなければ、友好関係は長続きできないのです。晏平仲はそれができていたのです。

 また、相手のことが能くわからないのに親し気(げ)に接することは、おべっかや諂(へつら)いになりかねません。彼は相手の人柄が確りと確認できるまでは、決して不用意に近づくことはしませんでした。然し彼と付き合い続けた人は皆、彼の誠実さや思い遣りの深さを実感し、尊敬の念を深くしていったのです。

 彼は私(孔子)を、斉の国にとっての危険人物と見做(みな)したようですが、彼の立場からして当然でしょう。それは彼が私を最高に高く評価してくれた、ということなので、私としては諦(あきら)めて斉の国を去らざるを得ませんでした。が、今も学ぶところの大きな偉大な先輩です。殊に、倹と謙虚に関しては、管仲(かんちゅう)をも凌(しの)ぐ君子と言える方です。

 

☆ 補足の独言

 晏嬰の目的は、君主が国をより善く治めること。孔子の目的は、民が安心して暮らせること。この微妙なずれは大きく、晏嬰からしてみると、魯の国の孔子は斉にとっては危険人物ということになるでしょう。自分の一番の望みを絶たれたにも拘(かか)わらず、冷静な目で義に沿って相手を評価する、この精神的な強靱さは、論語を学ぶ者として必ずや身につけたいものです。