5 公冶長第五 20

Last-modified: Wed, 15 Jun 2022 14:54:03 JST (688d)
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☆ 公冶長第五 二十章

 

 季文子 三思而後行 子聞之曰 再斯可矣

 

 季文子(きぶんし)、三(み)たび思ひて而(しか)る後(のち)に行(おこな)ふ。子之を聞きて曰く、再(ふたた)びすれば、斯(ここ)に可なり。

 

☆ 意訳 (心理屋の勝手解釈)

 先生の生まれる前のことですが、魯の筆頭家老に、季文子(きぶんし)という人がいました。魯国を支えた偉大な賢者である政治家として、臧文仲(ぞうぶんちゅう)(公冶長第五、十八章)に次いで世に出た人です。

 季文子は大変に慎重な熟考型の人で、石橋も叩いて渡っていたそうです(嘘😄)。この季文子が、何事も繰返し繰返し考え抜いた上で行動をしていた、という言い伝えを聞いて、先生が言われました。

 季文子は視野の広い聡明な方です。然し、石橋も叩き過ぎれば壊れることもあります。政治には即断が必要な時もあります。その時宜(じぎ)を失して失敗してしまったことも希(まれ)にはあったようです。私(孔子)が思うに、季文子のような優れた人の場合は、再考するだけに止(とゞ)めた方が善かったのかも知れませんね。然しそれだけ深く広く考えての上の行動だったからこそ、あれだけの業績が残せた、ということは間違いのないことです。

 

☆ 補足の独言

 若しかするとこの章は、季文子の失策と思える特定の事件に対する孔子の見解を述べたものかも知れないなあ、とも思います。が、孰(いづ)れにしても、季文子を非難した言葉とは思えません。却って、季文子の熟考し過ぎるほどの深く慎重な姿勢を讃える気持ちから出てきた言葉と捉える可きではないでしょうか。