5 公冶長第五 22

Last-modified: Sat, 16 Jul 2022 22:52:49 JST (657d)
Top > 5 公冶長第五 22

☆ 公冶長第五 二十二章

 

 子 在陳 曰 歸與歸與 吾黨之小子 狂簡 斐然成章 不知所以裁之

 

 子、陳(ちん)に在(あ)り。曰く、帰(かへ)らんか、帰らんか。吾(わ)が党(たう)の小子(せうし)、狂簡(きゃうかん)なり。斐然(ひぜん)として章(しゃう)を成(な)すも、之を裁(さい)する所以(ゆゑん)を知らず。

 

☆ 意訳 (心理屋の勝手解釈)

 先生は、五十歳頃から政治の表舞台に顔を出すようになりました。そして五十五歳で大司寇(だいしこう)迄登り詰めましたが、三桓の制圧に失敗をして、亡命の已(や)むなきに至りました。理想の政治の実現を願って弟子達と共に流浪の旅を続け、様々な国を求め歩きました、決して諦めることなく。しかし、成果の上がらぬことほど疲労の大きなものはありません。先生の精神力の逞(たくま)しさには、畏敬(いけい)の念を懐(いだ)かざるを得ません。とは言っても、流石(さすが)の先生も偶(たま)には愚痴を漏らすことがありました。

 旅に出て十年近くも経った頃のことです。陳の国にもう何年も逗留しているけれど、埒(らち)が明きません。お世話になって真(まこと)に有り難いのだけれども、私が望むのは実際の理想の政治だ。無為に時を費やす暇はない、と、こんな思いだったのでしょうね。先生は突然にこう言われました。

 嗚呼(あゝ)もう帰ろう帰ろう。こんな悠長なことをしている暇はない。私の祖国の魯の国では、弟子の若者達が途方(とほう)に暮れている。彼等は一途(いちづ)に真っ直ぐで、前向きに努力をし、その才能、秘めたる資質たるや、錦の織物の如くに燦然(さんぜん)と輝いている。だが折角(せっかく)の美しい我が布を、裁(た)って立派な衣服に仕立てる術(すべ)を知らないでいる。早く帰って、直ぐに教えてやらなければ。直接政治を任せてもらうことは、どの国に行っても無理だった。こんなことで油を売っているより、輝ける才能を有(も)った彼等を教育して託する可きであろう。

 先生はここまで言って落ち着かれたようでした。少し間(ま)があって、こう続けられました。

 いやあ、つい気が緩んで、愚痴を言ってしまいましたね。しかし私は未だ未だ諦めませんよ。もう一踏ん張り探し求めていきましょうか。愚痴ったらすっきりしました。皆さん、この先も未だ苦労を掛けることになりますが、宜しいですね。有難う。

 と言って次の目的地へ向かう準備を、皆と共に始めました。実際に魯に帰られたのは、それから数年後のことです。

 

☆ 補足の独言

 孔子が本気で最善の天命を果たす夢を放棄して、次善の教育に逃げる、なんてことは考えられません。「桴(いかだ)に乗りて海に浮かばん」(公冶長第五、七章)と全く同じですね。不満や愚痴を表現できれば元気になる、というのはカウンセリングの基本です。孔子はこのようにして、自分で自分をカウンセリングしていた、とも言えるようです。

 「帰らんか、帰らんか」と繰り返しているのは、帰りたい思いの強さを言っているのではなく、思い通りに事が運ばないストレスの大きさを物語っているのです。若者達への深い愛情は、本心であるだけに実に御尤(ごもっと)もな言い訳になっています。しかしそれが如何に大切なことであっても、今自分の為す可きことではない、と孔子は解っています。置いてきた若い弟子達を案ずる本心を強く吐露することによって、天命成就という第一の目的から外れずに精進し続けることができたのでしょう。

 以上のような独善的勝手解釈を私がする一番の論拠は、こんなに強く帰ろうと言いながらも、実際には帰っていない、という事実がある、ということです。