5 公冶長第五 23

Last-modified: Thu, 04 Aug 2022 20:42:56 JST (638d)
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☆ 公冶長第五 二十三章

 

 子曰 伯夷叔齊 不念舊惡 怨是用希

 

 子曰く、伯夷(はくい)・叔斉(しゅくせい)は、旧悪(きゅうあく)を念(おも)はず。怨(うらみ)、是(ここ)を用(もっ)て希(まれ)なり。

 

☆ 意訳 (心理屋の勝手解釈)

 伯夷(はくい)と叔斉(しゅくせい)は、殷(いん)王朝最後の悪逆非道で名高い紂(ちゅう)王の頃に賢人として名を馳(は)せた兄弟です。伯は長男、叔は三男の意味です。父ちゃんは孤竹国(こちくこく)の王さんで、普通の人だったようです。真面目で立派過ぎる長男は王さんには向かないと思って、三男を後継者に指名しましたが、豈図(あにはか)らんやこの三男坊も兄そっくりの真面目な賢人。兄を差し置いて王さんになるなど言語道断、そんな礼に反することなどできる訳がない、とどちらも譲らず、結局次男に位を譲って一緒に国を出て、当時名君の誉れ高かった周の文王を頼っていきました。が、文王既にこの世に亡く、武王が殷の紂王討伐にてかけるところ。礼に反する下剋上(げこくばょう)はおやめなさい、武力革命は間違っています、と散々諫言(かんげん)しましたが聞き容れられません。失望した二人は武王を見限って「周の粟(ぞく)は食わぬ」と言って山中に隠棲(いんせい)して蕨(わらび)を採って命を繋(つな)いでいましたが、その山も、山に生えている蕨も周のものだ、と言われてそれもやめ、餓死してしまいました。また、礼に反する者に対しては見るのも汚らわしいという態度を取るような、融通の利かない堅物だったようですが、先生(孔子)の観るところは全く違っていたようです。

 或る時先生が言われました。

 伯夷と叔斉は立派な人です。それは礼と義を貫き通すのに命を懸けたから言うのではありません。彼等は「今」だけを大切にしていました。今現に行っているその振る舞いや服装が、相手に不快感を与えない、思い遣りに満ちた、礼儀に適ったものであるか否か、だけを問題にしたのです。過去に悪事を働いたとか、不快な思いをさせられた、といったことは全く問題にしなかったのです。今思い遣りの籠(こ)もった態度が礼儀正しく取れていれば、それだけで総て善しとしてくれたのです。私が何時も言っていることと同じですが、あらゆる行動や態度に誠意が滲み出ていることが大切なのです。こうであって初めて、君子とか賢者と言うことができるのです。過去に拘(こだわ)らず、今示している善さを純粋に全面的に認めてあげることができているから、嘗(かつ)て非難された人も蟠(わだかま)りが溶けて信頼してくれるようになるのです。勿論、中には自分の態度を反省できない人もいますから、誰からも恨まれずに済むという訳にはいきませんけれどね。

 

☆ 補足の独言

 「今を生きる」「今を大切にする」というのは、孔子にとっては一番の大原則だと思います。「今」というのは「今此処(こゝ)に在る」という現実の存在を意味します。その存在者が如何(どう)存在しているのか。その存在の仕方が「行為」なのです。行為には真実、乃ち行為者の気持ち、心が現れます。伯夷や叔斉や孔子を騙すことは至難の業(わざ)でしょう。君子や賢人は心を大切にします。伯夷や叔斉にとっては、目の前にいる人の行為を見れば、総てが了解なのです。過去の出来事に惑わされて今を見誤る、なんてことには無縁だったのでしょう。このことをこそ、孔子が伯夷叔斉を賢人として評価し尊敬した一番の理由だと思います。

 それから、孔子が言葉を嫌うのは、その言葉が現実の存在ではない言葉である場合です。観念としての言葉には、今だけではなく過去も未来も含まれてしまいます。観念は現実の実在ではないので、間違いも起こり易いものです。意図的な嘘も簡単につけます。流暢(りゅうちょう)な言葉は詐欺(さぎ)の必需品です。

 同じ言葉でも、実在する言葉があります。それは実在者の行為と密着した言葉です。人の行動は、必ずその人の心の現れです。乃ち行為には必ず心が宿っている、ということです。実在する言葉は、その言葉の密着した行為に宿っている心がそのまゝ宿っている言葉のことです。この心は魂(たましい)と呼ばれます。この魂の籠もった言葉を孔子はこよなく愛していました。それが「詩経」でしょう。孔子にとって言葉は、見えない心や魂を実在として見せてくれる、本当に大切なものだったのではないでしょうか。だからこそ言葉を虚しく垂れ流すことに、過剰とも思える拒否感を露わにしていたのだろうと思われます。