5 公冶長第五 28

Last-modified: Fri, 16 Sep 2022 19:51:28 JST (595d)
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☆ 公冶長第五 二十八章

 

 子曰 十室之邑 必有忠信如丘者 焉不如丘之好學也

 

 子曰く、十室(じっしつ)の邑(いふ)にも、必ず忠(ちゅう)信(しん)、丘(きう)が如(ごと)き者(もの)有(あ)らん。焉(いづく)んぞ丘の学(がく)を好むに如(し)かざらんや。

 

☆ 意訳 (心理屋の勝手解釈)

 先生が言われました。

 僅(わづ)か十軒ばかりの小さな村でも、私丘(きゅう)(孔子)のように誠実で責任感の確りした信頼に足る人物は、必ず一人や二人は居るものです。誠実な見所のある若者は何処(どこ)にも沢山いるのです。ですから当然、私のように学ぶことが何よりも好き、という者がいない訳がないではないですか。彼等は学ぶ機会に飢え、求めています。学びの場さえ充分に与えることができたならば、彼等はまるで海綿(スポンジ)のようにその学びを吸収して光り輝き、皆を幸せへと導いてくれることでしょう。そうなれば、我が国の将来も捨てたものではありませんね。

 

☆ 補足の独言

 この章は一般には、以下のような区切り方で読まれています。

『 子曰 十室之邑 必有忠信如丘者焉 不如丘之好學也

 子曰く、十室(じっしつ)の邑(いふ)にも、必ず忠(ちゅう)信(しん)、丘(きう)が如(ごと)き者(もの)有(あ)らん。丘の学(がく)を好むに如(し)かざるなり。』

 だとすると、以下のように訳したいですね。

『 先生が言われました。

 僅(わづ)か十軒ばかりの小さな村でも、私丘(きゅう)(孔子)のように誠実で責任感の確りした信頼に足る人物は、必ず一人くらいは居るものです。しかし残念なことに、私ほどに学問を愛し自ら進んで勉学に励む者は滅多といません。彼等の資質は磨き鍛えれば、必ずや光り輝くようになるのです。今は、この資質豊かな若者達に、それが宝の持ち腐れとならないように、少しでも沢山、善き学びの場を与えてやることが急務です。』

 と。如何(どん)なものでしょうか。少なくともこの章の内容は、愚痴や歎き、況(ま)してや孔子の自慢話である訳がありません。