6 雍也第六 1

Last-modified: Sun, 02 Oct 2022 11:44:25 JST (580d)
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☆ 雍也第六 一章

 

 子曰 雍也 可使南面 仲弓問子桑伯子 子曰 可也 簡 仲弓曰 居敬而行簡 以臨其民 不亦可乎 居簡而行簡 無乃大簡乎 子曰 雍之言然

 

 子(し)曰(いは)く、雍(よう)や南面(なんめん)せしむ可(べ)しと。

 仲弓(ちゅうきゅう)、子桑伯子(しさうはくし)を問(と)ふ。子曰く、可(か)なり。簡(かん)なり。仲弓曰く、敬(けい)に居(ゐ)て簡を行(おこな)ひ、以(もっ)て其(そ)の民(たみ)に臨(のぞ)めば、亦(また)可ならずや。簡に居て簡を行ふは、乃(すなは)ち大簡(たいかん)なること無(な)からんか。子曰く、雍の言(げん)然(しか)り。

 

☆ 意訳 (心理屋の勝手解釈)

 先生が言われました。

 雍(よう)ちゃん(冉雍(ぜんよう)、仲弓(ちゅうきゅう)の名)は、人の上に立って皆を導いていける力量、心の大きな徳を有(も)っていますね。

 それを聞いた仲弓(雍)は、先生の思いがよく理解できないので、先生に質問しました。

 子桑伯子(しさうはくし)という人がいますが、彼は如何(どう)なのでしょうか。

 先生が答えられました。

 うん。彼は良いですね。鷹揚(おうよう)で、重箱の隅を突(つゝ)くようなことも、些細な非を咎(とが)めることもしませんからね。

 そう聞いて仲弓は重ねて質問しました。

 はい。敬虔(けいけん)な心で厳しく我が身を慎(つゝし)み律(りっ)することができている上で、他者(ひと)には寛大な恕(ゆる)しの心を以て政(まつりごと)に臨(のぞ)む、ということであれば善い、ということは解りますが、自分に対して甘く許していて、裁きも甘く許す、というのでは、鷹揚も行き過ぎで、正義も蔑(ないがし)ろにした「無責任」としか言いようがないのではないですか。

 先生はにっこり笑って言われました。

 そう。雍ちゃんの言うとおりです。私の普段から言っていることを能く理解できていますね。だから指導的立場に立っても大丈夫だと言ったのですよ。

 

☆ 補足の独言

 この章は一見すると、仲弓の方が孔子よりも理解が深くて、先生を遣り込めたかの如くに見えます。孔子が既に耄碌(もうろく)している訳ではないので、それはあり得ないことでしょう。とすると、この孔子の一見一面的、片手落ちと思える発言には、きっと深い訳がある筈です。

 そこでこんな推理をしてみたのですが、如何(いかが)なものでしょうか。

 曽参(そうしん)を経て孟子(もうし)を経て遂には漢の国教の地位を勝ち取った儒教の本流には、教条主義、権威主義の小人的慾望が拭(ぬぐ)い難く深く染みついている、と思えるのですが、その為に真実の孔子の姿が覆い隠されてしまっているのが、この『論語』という書物なのでしょう。

 孔子の真の姿を理解し継承したのは、顔回、子路、子貢の他(ほか)に誰がいるというのでしょうか。在(い)る筈がありません。真の孔子の思想の流れは顔回に受け継がれて行ったのです。それは権威と慾望の為のものでは全くなくて、天下万民の幸せの為のものなのです。そしてこの正当な孔子の思想は顔回を経て荘子(そうし)へと受け継がれていった、と、私は考えています。「荘子」という書物(しょもつ)には能く孔子が喜劇役者として登場します。顔回を崇拝していたと思われる荘子の作り話ですから、孔子は逆に顔回にお説教されて、素直に自分の間違いを認める、という筋書きになったりしています。

 この章では、仲弓が嘗(かつ)て自分が教えたことを確りと理解していて、それと矛盾する孔子の説明に疑義を申し述べています。仲弓の言うことが正しいのですが、孔子が間違えたり見落としたりした、とは考えられません。孔子自(みづか)らの思索が深まっているのです。それは孔子が生前の顔回の域まで達した、ということかも知れません。(勝手解釈の行き過ぎで叱られそうですが)

 「自分に厳しく他人(ひと)に寛大であれ」とは、孔子が常に弟子達に言っていることでしょう。この言葉は全く正しいのですが、能く能く突き詰めていくと、本当に大切なのは「他人に寛大であれ」という一点だとわかります。自分に寛大な人は必ず他人に厳しい。他人に寛大である為には、何としても厳しい自己研鑽が必要なのです。

 また、寛大と無責任は違います。無責任は一見したところでは寛大に似ていますが、相手や周囲を看ていません。自己中心的で配慮や思い遣りに欠けているのです。そこには心が無いのですね。それに無責任は佞(ねい)や巧言令色(こうげんれいしょく)ということと結びつき易い性質を有(も)っています。それは、無責任にも佞にも同じく心が無いからです。自分の心を大切にして、佞を見分けることができると善いですね。自分にも他人(ひと)にも寛大であるかの如くに見える人がいたら、それは無責任な人と思って間違いないでしょう。

 自分にも他人にも厳しい人というのは、真面目(まじめ)で立派な人なのだけれど、視野が狭く、「可きである思考」が強すぎて融通の利き難(にく)い人かも知れません。

 子桑伯子(しそうはくし)が「荘子」(内篇大宗師篇)に登場する子桑戸(しそうこ)と同一人物であるならば、これはまたとても面白いな、と思います。子桑戸は荘子の創作した理想の人間像の一人です。荘子は理想的人間像を「真人(しんじん)」と呼んでいます。真人は宇宙、森羅万象、無為自然を師として、その在るが儘(まゝ)の大自然の命(めい)に従って、一切の作為(さくい)なく生きる人です。礼も仁も、それが若し「斯(か)く在る可き」という人為的作為的発想から出てきたものであったならば、全て否定します。礼や仁を否定するのではありません。心の自然な作用ではない、形式的教条的押し付けの、心から乖離(かいり)した偽善を否定するのです。

 お話しはこんな感じです。

 三人の真人が意気投合して友達になりますが、その一人である子桑戸が死んでしまいます。それを知った孔子が、直ぐに子貢を葬儀のお手伝いに派遣します。子貢が急いで駆けつけたところが、真人である二人の友人は、死体をほっちらかしにしたまゝ、筵(むしろ)を編み琴を弾きながら、暢気にこんな歌を合唱しています。「子桑戸よ、お前は先に真実の世界に帰れて善かったね。儂等(わしら)はまだ人間の儘(まゝ)じゃ」と。子貢は吃驚(びっくり)して「礼に反していませんか」と問うと、二人は笑って「お前には礼の本当の心などわかりようがないだろうよ」と相手にもしてもらえませんでした。子貢は帰って孔子に報告し、「何なんですか、あの人達は。流石(さすが)の私も呆れて返す言葉もありませんでした。」先生は言われました。「そうだった。彼等は世間の埒外(らちがい)(枠の外)で天地自然と一体となって生きる人。私は埒内で世俗の苦しみを共にすることを選んだ者だ。埒の内と外とでは法則が全く違いますからね。要らぬ手助けをしようとして、彼等に悪いことをしてしまいました」と。

 荘子の描(えが)く孔子像は、形よりも心を大切にする孔子の姿を極端に押し進めたもの、と言えるのではないでしょうか。何よりも礼を重んじる孔子は、実はそれ以上に心を重んじているのです。(八佾第三、三章。陽貨第十七、九章。他)

 晩年になって「七十にして心の欲する所に従いて矩(のり)を踰(こ)えず」(為政第二、四章)という境地に達した孔子は、大自然との一体化を目指す老荘の思想と近いものになっているようにも思われます。というより、荘子がこの孔子の晩年の思想を先鋭化したのが、無為自然や真人の思想である、と言えるのではないでしょうか。真面目で無骨な仲弓にこのことを理解させるのは未(ま)だ早過ぎるので、「雍の言(げん)然(しか)り」と言って収めたのでしょう。この章のお話しは、本当はこのことを言いたかったのに圧(お)し込んでしまったので、中途半端な余韻の残る、収まりの悪い終り方になってしまっているように思います。