5 公冶長第五 5

Last-modified: Mon, 27 Dec 2021 18:23:00 JST (858d)
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☆ 公冶長第五 五章

 

 或曰 雍也仁而不佞 子曰 焉用佞 禦人以口給 屢憎於人 不知其仁 焉用佞

 

或(ある)ひと曰く、雍(よう)や、仁(じん)なれども佞(ねい)ならず。子曰く、焉(いづく)んぞ佞を用(もち)ひん。人に禦(あた)るに口給(こうきふ)を以てすれば、屢(しばしば)人に憎(にく)まる。其の仁を知らず、焉んぞ佞を用ひん。

 

☆ 意訳 (心理屋の勝手解釈)

 孔門十哲(こうもんじってつ)と称せられる孔子の十大弟子の中には、冉一族の者が三人も顔を並べています。冉耕伯牛(はくぎゅう)、冉雍(ぜんよう)仲弓(ちゅうきゅう)、冉求(ぜんきゅう)子有(冉有(ぜんゆう))、の三人です。これは、先生の初期の弟子で仁徳を積み重ねていった伯牛が、一族の中の希望を担(にな)えそうな若者二人を先生の下(もと)に連れてきたからでしょう。冉求(冉有)は一族伝統の軍事が得意でしたが、この章の主人公である仲弓(冉雍)の方は、伯牛と同じく徳行に優れていました。先生の一番の願いは、当然のことながら、皆が徳行に優れた君子になることです。

 或る時、この冉雍のことを先生に苦言を呈した人がおりました。

 雍は立派な仁者ですが、惜しいことに口下手(くちべた)で、議論で相手を説得するという能力に欠けているので困っています。

 それに対して先生は明瞭(はっきり)と言われました。

如何(どう)して口下手であることが欠点になりましょうぞ。人を説得するのに言葉を用いて、即ち理屈で以て押さえ込んでいたのでは、孰れ必ず反感が募(つの)って怨みや憎しみを買うことになってしまいます。その時には、その者の雇い主までもが恨まれることになりかねませんぞ。配下の者が誠実であれば、雇い主の株までも上がります。(勿論この時代に株式市場などございません。)

 雍が、仁者と言えるまでになっているか如何(どう)かは解りませんが、言葉で以て煙(けむ)に巻くような不実さをもっていないことは確かです。如何してこのような雍よりも不実な佞の者を用いた方が有益である、などというような馬鹿げたことがありましょうか。

 

☆ 補足の独言

 冉雍への深い愛が感じられる章ですが、その冉雍ですら未だ仁とは言えない、という孔子の厳しさ。そこには、冉雍に顔回の域まで達して欲しい、という願いがあるのかも知れませんね。