5 公冶長第五 6

Last-modified: Wed, 19 Jan 2022 11:50:55 JST (836d)
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☆ 公冶長第五 六章

 

子使漆雕開仕 對曰 吾斯之未能信 子説

 

子、漆雕開(しつてうかい)をして仕(つか)へしめんとす。対(こた)へて曰く、吾(われ)は斯(これ)を之(こ)れ未(いま)だ信ずること能(あた)はずと。子説(よろこ)ぶ。

 

☆ 意訳 (心理屋の勝手解釈)

 先生が、門人の漆雕開(しっちょうかい)を仕官させようとしました。彼は子路より少し若いくらいで、先生と十一歳違います。勉学に能く励(はげ)み、日々の実習も怠りません。近頃の若い者は、というより、千年昔も二千年後も三千年後もきっと同じことだと思うのですが、大抵の者は、栄誉栄達が一番の望みで、実力をつけることよりも肩書きや名声が得られることを優先し勝ちです。孔子学園の若者達もそうでした。先生は、それは人の性(さが)であり多くの者がそうであることは、情けない悲しいことではあるが、仕方無い。仕官が目的で入学してきても、それが切っ掛けとなり、本当に大切なことを確りと学んでいけるならば、それで善いではないか、と思っていました。それで或る程度実力を付けた者達に仕官先を紹介していたのです。

 そんな訳で漆雕開の番がやって来たのですが、彼の返事は他(ほか)の者とは違っていました。漆雕開は金と名誉の得られる仕官よりも、もっともっと実力を高めて真にその名に相応しい自分になる道を望んだのです。それこそが先生の最も望んでいることでした。

 漆雕開は言いました。

 私は、この仕事に就くには未だ未だ誰もが安心して信頼されるだけの力が身についてはおりません。仕官の前にもっと勉強をさせて戴きたく存じます。

 先生は弟子達に対して一番望んでいる答えが返ってきたので、痛く喜ばれました。

 

☆ 補足の独言

 孔子は「泰伯(たいはく)第八」の十二章でこんなことも言っています。

 「三年学びて、穀(こく)に至らざるは、得易(えやす)からず。」

 「大抵の者は、三年も勉強すると、もう自分は一人前になった、早く職を世話してくれ、とわめき立てるものです。三年如きの勉強で一人前になんぞなれるものである訳がない、と腹を据(す)えて勉学に勤(いそ)しむことのできるものは殆(ほとん)どいません、希少価値のある存在です。」と私は解釈しますが、正に漆雕開がその希少価値的存在でしょう。泰伯の章の歎きと、この章の喜びが能く伝わってきます。

 間違えてはならないのは、孔子は決して傲慢でなければよい、と思っているのではない、ということです。謙遜は大事なことですが卑下(ひげ)は許しません。客観的な目で正しく自分を評価した上で努力精進せよ、と言っているのです。そのことは、一見この章と矛盾しているとも思えるような「雍也(ようや)第六」の十章を見れば分かり易いのではないでしょうか。

 「力足らざる者は、中道にして廃す。今女(なんじ)画(かぎ)れり。」

 「貴方は自分のことを力不足でできない、と言っていますが、力不足か如何(どう)かは、力の限りにやって初めて分かることです。やる前からできないと決めつけるのは、安易なところに自分を置いて努力を怠る口実を自分に与えて逃げているだけのことです。」と実に厳しく叱責しています。心理学用語で言う「自己否定」を努力を怠る口実に使うことを、孔子は絶対に許さないのですね。傲慢も努力を怠る気の緩みになります。正しく自分の力を見詰めて、一層の精進を怠らないことこそが、孔子の望んでいることだ、とわかります。