5 公冶長第五 7

Last-modified: Tue, 01 Feb 2022 10:09:24 JST (822d)
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☆ 公冶長第五 七章

 

 子曰 道不行 乘桴浮于海 從我者 其由與 子路聞之喜 子曰 由也好勇過我 無所取材

 

 子曰く、道(みち)行はれず、桴(いかだ)に乗りて海に浮(うか)ばん。我に従(したが)はん者は其(そ)れ由(いう)かと。子路(しろ)、之を聞きて喜ぶ。子曰く、由や勇(ゆう)を好むこと我に過ぎたり。材(ざい)を取る所無し。

 

☆ 意訳 (心理屋の勝手解釈)

 知らない方は驚かれるかも知れませんが、先生は風貌に似合わず茶目っ気が大きく冗談を能く言われました。特に親しい弟子達には辛辣なこともずけずけと言われます。一番それに引っ掛かって先生の疲れを癒やす役をしているのが子路でした。

 この日もそんな感じでしたが、流浪の旅も終わりに近い頃でした。全てが巧くいかず、我々だけでなく先生も疲労の極みに達しているようでした。親しい弟子達しかいなかったので、先生も安心して愚痴を言われました。

 嗚呼(あゝ)何処に行っても正しい政治が行われている所がないし、幾ら言ってもやる気を起こしてももらえない・・・。ええ加減疲れてきましたねえ。

 そう言えば、巷の噂を小耳に挟みましたが、この国の遙か東の海のそのまた東の彼方(かなた)に蓬莱(ほうらい)という霊山があって、その国では皆が幸せで、どうも道が行われている、ということらしいですね。そうだ、一層(いっそ)のこと小さな筏にでも乗ってその蓬莱山にでも行ってみますか。

 先生は「大きな船」でも行けるかどうか分からない所に「筏(ばつ)、大きな筏(いかだ)」どころか「桴(ふ)、小さな筏」で行こう、と言われたので、子路以外は皆、「あ、これは全くの冗談で、国を捨てて海外逃亡する気など全くないな」と安心して聞いていました。そうしたところ、先生は子路を引っ掛ける心算(つもり)でこう言われたのです。

 こんな冒険に付いて来てくれるといったら由(ゆう)ちゃん(子路)だけだろうな。

 案の定まんまと引っ掛かった子路は、大喜びで言いました。

 先生!任(まか)せてください。顔回や子貢が怖がってお供できなくても、この子路さえいれば、仮令(たとえ)小さな筏であっても大船に乗った心算(つもり)で安心していただけます。

 と、早速(さっそく)旅支度に取り掛かろうとしました。先生は楽しそうに態(わざ)と怪訝(けげん)そうな表情で言われました。

 うむ・・・確かに由ちゃんは私より遙かに勇気がありますね。大船でも行き着いた者がない、という伝説の蓬莱山に、小さな筏で行こうなどという無謀な勇気は私にはないですからね(にこっ)。

 子路は驚いて、目を真ん丸くして止まってしまいました。先生は続けて言われました。

 ところで、筏はどうやって調達する心算ですか。何かを実行するためには、そこまで確りと考えなければ、勇気も蛮勇になってしまいますよ。

 がっくりと肩を落とした子路を、仲間達が取り囲んで褒(ほ)め讃(たた)えました。

 お前のお陰で先生がまた元気を取り戻されたぞ。良かった良かった。それにしてもお前なあ、先生が天命を放棄して自分だけがしあわせを求めて逃げ出すなんて気持ちを懐かれる訳がないことくらい分かるだろう。

 子路は泣きそうな顔で笑って、みんなしあわせでした。

 

☆ 補足の独言

 「史記」などの記述に「徐福(じょふく)伝説」があります。

 この章の出来事よりも二百五十年以上も後(のち)の話ですが、実は孔子の時代に既に蓬莱山の伝説が広まっていた、と仮定すると面白いですね。恐らく孔子達が内陸を旅していたときに、海を見たこともない民の間に、「この世界の東の端には海というものがあって、その海のそのまた向こうの東の果てには、不老長寿の幸せな国があるらしい。そこへ行けば今のような苦しみから綺麗に解放されるそうだ。」という夢物語がまことしやかに囁(ささや)かれていたのを聞いたのではないでしょうか。そんなことでもなければ、内陸にいて唐突に海に浮かびたい、等という発想は出てこないのではないでしょうか。

 それにしても、それ程庶民の暮らしは厳しかったのでしょう。その庶民の苦しさにも通じるような自分達の苦しさ。つい、俺も行きたい、という愚痴が出たのでしょうね。そして子路に助けてもらって気を取り直して再び現実に立ち向かって行ったのでしょう。

 極楽浄土を海の彼方に求める、というのは、沖縄・奄美の「ニライカナイ」とも繋がるものがありますし、徐福が上陸したという伝説のある熊野には、那智に「補陀落(ふだらく)渡海(とかい)」の信仰があります。あれやこれやを重ねて妄想を逞しくしていくと、興味が尽きません。