5 公冶長第五 8

Last-modified: Fri, 04 Feb 2022 22:36:04 JST (819d)
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☆ 公冶長第五 八章

 

 孟武伯問 子路仁乎 子曰 不知也 又問 子曰 由也 千乘之國 可使治其賦也 不知其仁也 求也何如 子曰 求也 千室之邑 百乘之家 可使爲之宰也 不知其仁也 赤也何如 子曰 赤也 束帶立於朝 可使與賓客言也 不知其仁也

 

 孟武伯(まうぶはく)問ふ、子路(しろ)仁(じん)なりや。子曰く、知らずと。又(また)問ふ。子曰く、由(いう)や、千乗(せんじょう)の国、其(そ)の賦(ふ)を治(をさ)めしむ可し。其の仁を知らずと。求(きう)や何如(いかん)。子曰く、求や、千室(せんしつ)の邑(いふ)、百乗(ひゃくじょう)の家(いへ)、之(これ)が宰(さい)為(た)らしむ可し。其の仁を知らずと。赤(せき)や何如。子曰く、赤や、束帯(そくたい)して朝(てう)に立ち、賓客(ひんかく)と言はしむ可し。其の仁を知らず。

 

☆ 意訳 (心理屋の勝手解釈)
 孟武伯(もうぶはく)のお祖父(じい)さんである孟僖子(きし)は中々の人で、我が子と同じ年頃である孔子の才を見抜き、彼に息子達(孟懿子とその弟)の教育を委(ゆだ)ねました。先生の薫陶(くんとう)を受けた孟懿子(いし)は、そのまた息子の武伯の教育を先生に委ねたのです。武伯にとって先生は物心つく前から親しく教えを受けている人ですし、子路やや冉有(ぜんゆう)は親しい弟子仲間でもあります。
 武伯の父、懿子が亡くなって自分が魯国の家老職を継いだとき、彼は考えました。立派な人格者を配下に置いて善政を敷きたい、と。そして同門の弟子達のことを色々と思い浮かべてみました。
 子路さんは本当に逞(たくま)しくて愛情深い。人の顔色など全く気にせず、自分の信念を貫き通している。その上、統率力があって信頼できる。
 そのようなことを思いながら、武伯は先生に質問しました。
 先生、子路さんは人格者、仁と言えるのでしょうか。
 先生は答えられました。
 いや、未(ま)だ仁とは言えませんね。
 それを聞いて武伯は重ねて問うてみました。
 では如何(どう)なのでしょうか。
 先生は答えられました。
 由ちゃん(子路)は、大きな国の軍隊の総帥(そうすい)として、その任を立派に果たす力を有(も)っています。然し、そのことと、彼が人格者であるか如何か、ということとは関係のないことです。だから人格者である、とは言えませんね。
 然(そ)うか、然うなのか、と思った武伯は考えました。冉有(ぜんゆう)さんは何でもそつなくできて控え目で人当たりが良い。そう思った武伯はまた尋(き)きました。
 求(きゅう)さんは人格者と言えるでしょうか。
 先生は答えられました。
 求ちゃん(冉有)は、大きな村の長(おさ)や国家老(くにがろう)のような責任の重い大きな家の家老、執事が務まる力を有(も)っています。が、だからと言って仁と言える訳ではありませんね。

 そうか、難しいものだなあ。然し人材を探さないといけないしなあ。若いけど公西華(こうせいか)は、見栄えが良くて上の人からの覚えも良いし仕事も巧くこなしている。これも尋(き)いてみよう。そう思った武伯は、又々先生にお尋きしました。

 赤(せき)は如何でしょうか。

 先生は嫌な顔もせず率直(そっちょく)に答えられました。

 そうですねえ。赤ちゃん(公西華)は、立派な礼服で正装をして宮廷に立てば、国賓(こくひん)の接待も美事にやってのけるでしょうね。でもそれも関係ありませんよ。そんなことで仁者等(など)とは、とても言えるものではありません。じっくりと能く考えてみてください。

 そう言って先生は温かく微笑みながら孟武伯を送り出しました。

 解決の得られぬまま先生の下(もと)を辞した武伯は、帰る道すがら先生から言われた言葉を反芻(はんすう)していました。

 仁は見てくれや個々の長所ではないのだよな。先生が何時も言われているよなあ。仁は心だと。然し今日のお話からすると、仁者とまでは到達していなくても、それぞれがその人特有の個性の輝きを有(も)っているのだ。先生はそれを教えてくださったのか。仮令(たとえ)仁者が見つからなくとも、適材適所の人材を探せば善いのだ。

 さあ、頑張らなっくっちゃー🙂♫

 

☆ 補足の独言
 孔子は孟武伯の質問の意図が初めから解っていた筈です。だから、仁の奥深さと同時に、貴方にとって今必要なことはこういうことでしょ?そこのところを能く考えなさい、と教えたのでしょう。一見すると、武伯は仁を問うているのに、孔子は「違う」としか答えず仁とは関係のない三人の能力について語っています。
 本当に相手のことが解っていれば、こんな離れ業(わざ)もできるんだ、とカウンセラーとして感じ入るものがあります。真似(まね)をしようとしたらとんでもないとんちんかんをしてしまいます。深く理解できて自然に出てくる応答なのでしょうね。