6 雍也第六 2

Last-modified: Mon, 17 Oct 2022 18:44:40 JST (564d)
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☆ 雍也第六 二章

 

 哀公問 弟子孰爲好學 孔子對曰 有顔回者 好學 不遷怒 不貳過 不幸短命死矣 今也則亡 未聞好學者也

 

 哀公(あいこう)問ふ、弟子(ていし)孰(たれ)か学を好むと為す。孔子対(こた)へて曰(いは)く、顔回(がんくわい)といふ者有り。学を好めり。怒(いかり)を遷(うつ)さず、過(あやまち)を弐(ふたた)びせず。不幸(ふかう)短命(たんめい)にして死せり。今や則(すなは)ち亡(な)し。未(いま)だ学を好む者を聞かず。

 

☆ 意訳 (心理屋の勝手解釈)

 先生の晩年、魯国に帰ってからのことです。或るとき、魯国の王様哀公(あいこう)が先生に質問なさいました。

 沢山の弟子(でし)がいますが、学を好むと言えるのは誰ですか。

 先生は答えて言われました。

 顔回(がんかい)という者がおりました。彼こそは「学を好む」という言葉が一番ぴったりな人物です。「学」というのは知識ではありません。知識でしたら、子貢(しこう)も宰我(さいが)も彼と肩を並べられるでしょう。「学びて習」(学而第一、一章)わなければ、すなわち教わったことを直ぐに実習して身体(からだ)で納得しなければ、「学」とは言えないのです。顔回は常にその実践ができていました。ですから腹を立てることはあっても、その怒りを別の人にぶつけたり、時間が経っているのに何時迄もうぢうぢと根に持ち尾を引く、というようなことは決してありませんでした。

 これは簡単なようで、実践するとなると非常に難しいことです。と言うのは、怒りは勝手に起こってくる自然な感情だからです。感情が起こると理性は働かなくなります。起こった感情は表現しなければ納まりません。しかし表現しようとすると、損得や自己保身の様々な思惑(しわく)が働いて、矛先(ほこさき)をより安全と思える相手に変えたり、ぐっと飲み込んで表現をあきらめ、何時迄も不機嫌がなおらない、ということになってしまう訳です。

 「学ぶ」と言うのは、自分も満足し、それに因って周りの人達も和という益を受けるような生き方を身につけることです。怒りは、不正な行為や甚(はなは)だしく身勝手な迷惑行為に対しては、起こって当然のものです。そのとき自分は何に怒っているのか、ということを自分の心に確りと問いかけて、正しくその標的にぶつけなければなりません。顔回はそれができている、ということなのです。

 それから、人は誰でも過ちはするものです。「学ぶ」と言うことは、その過ちに気付くということです。学んで気付けば正しい在り方や遣(や)り方が解ります。そうしたら即(そく)正しい道を実践する、という風にできたら善いのです。これが「学ぶ」ということです。顔回は同じ過ちを二度繰り返す、ということは決してありませんでした。本当に学ぶということ、学ぶのが好き、というのはこういうことなのです。

 その顔回は何とも不幸なことに、命尽き、亡くなってしまいました。あの顔回がもうこの世には居ないのです。他(ほか)には「学が好き」と言える人物には出会ったことも、風評ですら聞いたこともありません。

 

☆ 補足の独言

 私の感覚で言わせてもらいますと、この章の言葉は孔子らしくない言葉です。これは、今は亡き顔回を悼(いた)み嘆く愚痴(ぐち)の言葉です。これが孔子の本心かも知れません。しかし、愚痴を公の場で目上の人に対して吐露(とろ)する、ということは、明らかに礼に反しています。

 現代の社会でも、ドキュメンタリー(実録)と称した創作、捏(でっ)ち上げが如何に多いことか。殊に古代中国の文献は後世の勝手な付け足しや改竄(かいざん)は当たり前のことだった、と聞きます。この章の話は、略(ほゞ)同じ内容が先進第十一、六章にも、質問者が季康子(きこうし)に替わって出てきます。魯公や季康子がそんなに学に関心を持つか、という違和感がありますし、どちらに対してもこんな愚痴は決して言わないでしょう。愚痴でなければ、つまり本来の孔子であれば「未(いま)だ学を好む者を聞かず」などというような絶望的な返答はせず、今の現実に於いて可能性のある、希望を失わない返答をする筈です。「顔回には及ばないがこのような者がいる」とか。絶望はあきらめです。絶望やあきらめは教育者にあるまじきことです。孔子は教育者です。希望を失わない、あきらめない、これこそが教育者たる者の真骨頂(しんこっちょう)なのですから。愚かなこの章の創作者はこんなことにも気付かなかったようですね。(書いている内に段々腹が立ってきました。これでは論語を述べる姿勢として失格ですね。心を静めて終わりましょう)

 ということで、私はこれを史実ではない、と判断するのですが、若し史実であったとしたならば如何(どう)いうことなのだろう、と考えて訳してみました。