6 雍也第六 10

Last-modified: Wed, 21 Dec 2022 18:55:14 JST (499d)
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☆ 雍也第六 十章

 

 冉求曰 非不說子之道 力不足也 子曰 力不足者 中道而廢 今女畫

 

 冉求(ぜんきう)曰(いは)く、子(し)の道(みち)を説(よろこ)ばざるに非(あら)ず。力(ちから)足(た)らざればなり。子曰く、力足らざる者(もの)は、中道(ちゅうだう)にして廃(はい)す。今(いま)、女(なんぢ)は画(かぎ)れり。

 

☆ 意訳 (心理屋の勝手解釈)

 先生の弟子に、冉有(ぜんゆう)(冉求子有(ぜんきゅうしゆう))という者がおりました。先生より二十九歳年下、ということは、顔回より一歳、子貢より二歳年上になります。彼は文武両道何でも御座れの所謂マルチ(万能)人間で、戦争に於いても行政や至難の税制改革に於いても偉大な業績を残しております。何よりも、先生が亡命の旅から帰還できたのは、この冉有の季康子に対する働きかけがあったればこそです。これ程に優秀な弟子でしたので、先生の彼に寄せる期待も並外れたものがありました。先生は、季孫家の魯公を蔑(ないがし)ろにした礼に反する横暴な振る舞いを何とかしなければ魯国は滅んでしまう、という危機感を強く懐いておられました。そしてその改革に失敗をして、亡命の余儀無きに至ったのです。今、冉有が季孫家の家老職に就いています。彼ならばやれるのではないか。冉有もその期待に応える可く、必死に頑張りました。しかし冉有は、決断力や判断力は優れていても、生来の優しさから、押しの強さがありません。季康子を諫(いさ)め止(とゞ)めることは、結局できませんでした。冉有はそのことを先生に報告しました。

 先生から言われたことは、全面的に納得しています。それが最も望ましいことであり、斯くあらねばならぬ、と了解して全力を尽くして参りました。しかし力及ばず諫め止めることができませんでした。

 冉有の報告を受けた先生は、それに因って最後の砦を崩されてしまい、絶望的な溜息をついて言われました。

 貴方は力不足と言うけれど、それは言い訳に過ぎないでしょう。力が足るか足らないかは、実際にやってみないと解らないことです。若し力不足であれば、力一杯行動している最中(さなか)で、力尽きて倒れてしまいます。倒れるまで遣り抜いて達成できずに、実際に倒れてしまったときに、初めて力不足であったと解るのです。貴方は未(ま)だ倒れていません。未だ余力がある、ということです。それなのに力不足である、と思うということは、遣り抜く前に自分の能力を楽な方向に過小評価をして、目一杯になる手前に限界線を引いて、それ以上の努力を放棄する、ということでしかありません。自分の限界を実行する前に、決めつけてその先に進むのを止(や)めていたのでは、何事も成す能わずです。

 冉有は、全く以てその通りだと重々(じゅうじゅう)解るだけに、それでも如何(どう)することもできない自分の不甲斐なさに、身動(みじろ)ぎもならず俯(うつむ)いたまゝでいました。

 

☆ 補足の独言

 この章は、具体的な内容も何時の時代のことなのかも全く解りません。しかし孔子がこれだけ厳しく言うということは、季康子以外のことでは考えられない、と思い、このような物語にしてみました。

 「力足らざる者は、中道(ちゅうどう)にして廃(はい)す」という言葉は、孔子の信念であったと思います。孔子は常にこのような思いでこの姿勢を貫いてきたのでしょう。自分の限界一杯を尽くす、ということは、何事を行うにも死を賭けて行う、ということです。孔子にとっては、これこそが大切なことであり、その対極にあるのが「画(かく)する(限(かぎ)る)」ということでしょう。限界に達する前に、これが自分の限界だ、と決めつけてしまう。これが最悪なのだ、と。弟子に諫められなければ何度生命(いのち)を落としていたか知れないような孔子の性格と、配慮をし過ぎて最後の一歩を踏み出せない性格の冉有との、宿命的な齟齬(そご)が、そこにはあったのかも知れません。