6 雍也第六 11
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☆ 雍也第六 十一章
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子謂子夏曰 女爲君子儒 無爲小人儒
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子(し)、子夏(しか)に謂(い)ひて曰(いは)く、女(なんぢ)、君子(くんし)の儒(じゅ)と為(な)れ、小人(せうじん)の儒と為ること無(な)かれ。
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☆ 意訳 (心理屋の勝手解釈)
先生が子夏(しか)にこのように言われました。
商(しょう)ちゃん(子夏)、貴方に言っておくことがあります。
学問は、広い心で以て学び実践しなければなりません。心が狭(せま)いと視野が狭(せば)まって、本質には関係のない些細なことに囚われて、本質を見失ってしまいます。また利潤を一等大事にすると、本当に大切なものを見失ってしまい、言うこととすることとが矛盾をきたして、迷路に迷い込んでしまいます。そのような学問の在り方を「小人の儒(じゅ)」と言います。そうならないように心して下さい。
学問は自分の心を高めるためのものです。自分の心を広くすることに因って周りの人々の心を安らげ、徳、精神的な利益を皆に齎(もたら)すためのものです。このような学問の在り方を「君子の儒」と言います。商ちゃんは必ずやこの「君子の儒」を目指して努力精進してくださいね。
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☆ 補足の独言
「子曰く、古(いにしえ)の学者(がくしゃ)は己(おのれ)の為にし、今の学者は人の為にす」(憲問第十四、廿五章)という文章がありますが、この「古」を「君子」、「今」を「小人(しょうじん)」と置き換えても間違いではない、と思います。心の大きな人は、自己成長の為に学ぶから、真実が掴(つか)めて世の為人の為となる。心が小さいと、世間の評価やそれに因る利害ばかりが気になるから、目先の評価や利害だけに心が奪われて、真実に到達することはない。それ故に世の中の害毒になってしまう。
憲問のこの章と、この雍也の章とは同じことを言っている、という解釈からこのようにしてみました。