6 雍也第六 12

Last-modified: Sat, 31 Dec 2022 20:41:10 JST (488d)
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☆ 雍也第六 十二章

 

 子游爲武城宰 子曰 女得人焉耳乎 曰 有澹臺滅明者 行不由徑 非公事 未嘗至於偃之室也

 

 子游(しいう)武城(ぶじやう)の宰(さい)と爲(な)る。子(し)曰(いは)く、女(なんぢ)人を得たる耳(のみ)か。曰く、澹臺(たんだい)有(あ)るも明(めい)を滅(めっ)する者は、行くに徑(みち)に由(よ)らず。公事(こうじ)に非(あら)ず。未(いま)だ嘗(かつ)て偃(えん)の室(しつ)に至(いた)らず。

 

☆ 意訳 (心理屋の勝手解釈)

 先生の弟子の子游(しゆう)という若者が、武城(ぶじょう)という町の長官として赴任していました。先生が、その子游の所を訪れたときに言われました。

 村人の弦歌は善かったですよ。まあ、あの音色は、礼楽教育が行き届いているというものではないですがね。偃(えん)ちゃん(子游)が村人にお願いしてやってもらったものでしょう。しかし、それを村人にしてもらえたということから、貴方が既に村人の信頼を得ている、ということが解りました。先づ一番に大切なことは、人心を得る、ということですから。しかしそれだけでは、長官として合格、という訳にはなりませんね。

 偃ちゃん、貴方は人心を得ただけですか。

 この厳しい質問にたじろぎながらも、子游は正直に答えました。

 はい、いいえ。あの・・・高台があっても明かりを消す者は真っ直ぐな道を避けて行くので、公の高台からは道を通る者しか見えないのです。もっと確(しっか)りと皆の中に入っていかねば、と解ってはいるのですが・・・未(いま)だに、私の部屋まで入ってきて先生から教わったことを直接に伝えられるような人物は見付かっておりません。

 

☆ 補足の独言

 この章は、陽貨(ようか)第十七、四章と同じ時の続きの話ではないか、と思われます。孔子が武城の長官をしている子游を訪ねたところ、子游は村人に弦歌を奏(かな)でさせて孔子を迎えます。それから陽貨篇に描(えが)かれている一騒動が起こって、収まった後(あと)の話でしょう。

 子游は学園にいた頃と変わらず、口達者で派手好きでした。「雞(にはとり)を割(さ)くに焉(いづく)んぞ牛刀(ぎうたう)を用ひん」と言った意味が子游には通じませんでした。派手なことに流行(はや)らず実質を大切にしなさい、という意味が。それと、孔子が「耳(のみ)か」と質問していること、滅明という名前としてはありそうにない言葉、といったことから、上記のように訳してみました。

 

 通説的な解釈だと以下のようになるでしょう。

 「子游(しいう)、武城(ぶじゃう)の宰(さい)と為(な)る。子(し)曰(いは)く、女(なんぢ)、人を得(え)たるか。曰く、澹臺(たんだい)滅明(めつめい)といふ者(もの)有(あ)り。行(ゆ)くに径(こみち)に由(よ)らず。公事(こうじ)に非(あら)ざれば、未(いま)だ嘗(かつ)て偃(えん)の室(しつ)に至(いた)らず。」

 子游は武城という町の長官として赴任しました。

 先生が言われました。

 偃ちゃん貴方は善き人材を得ましたか。

 子游は答えて言いました。

 はい。澹臺滅明なる者がおります。何処(どこ)に行くにも近道の路地は通らず、公道を通ります。公のことでなければけっして長官である私の部屋にはやって来ません。

 

 以上のようになりますが、こんな絵に描(か)いたような堅物が孔子の思い描く理想の人物像とはとても思えない、というのが私の正直な気持ちです。