6 雍也第六 14

Last-modified: Mon, 09 Jan 2023 22:00:49 JST (480d)
Top > 6 雍也第六 14

☆ 雍也第六 十四章

 

 子曰 不有祝鮀之佞 而有宋朝之美 難乎免於今之世矣

 

 子(し)曰(いは)く、祝鮀(しゅくだ)の佞(ねい)有(あ)らずして、宋朝(そうてう)の美(び)有るは、難(かた)いかな今(いま)の世(よ)に免(まぬか)れんこと。

 

☆ 意訳 (心理屋の勝手解釈)

 先生が言われました。

 嘗(かつ)て衛(えい)の国には、祝鮀(しゅくだ)という偉大な大夫が居て、衛の霊公(れいこう)を補佐していました。彼は美事な弁舌で以て衛国を救ったのです。同じ佞でも、口先ばかりで実(み)のない弁舌の佞(ねい)はいけませんが、彼のような実のある、現実の伴った弁舌である佞はとても大切なものです。

 私が訪れたときの衛国には、祝鮀は既に引退していて、宋朝(そうちょう)という超美男子の若者が羽振りを利かせておりました。彼は国王である衛霊公夫人のこれまた超美人である南子(なんし)に寵愛(ちょうあい)されていました。弁舌の才もなく無能であっても、美の力で以てして世の中渡っていけるものか、情けない世の中になったものだ、と危ぶんでいました。しかし今新たに届いた情報によると、宋朝は失脚して衛の国を逃げ出したそうですね。

 それを聞いた私は、感慨一入(ひとしお)で、思わず「そうか。矢張りなあ」と呟(つぶや)いてしまいました。祝鮀の如くに国を補佐するほどの実力がなければ、幾ら美男子であっても、美貌だけでは世の中渡り切ることはできないものなんだなあ、と人の性(さが)の悲しさを実感しています。幾ら大事とはいっても、口達者も美貌も上っ面のものです。祝鮀の佞は本質を突いたものですが、人は上っ面の佞や美に何と弱く振り回されるものなのでしょう。それに因って本人も周囲も破滅していってしまうしかないのに。何とも心の晴れない悲しい思いです。

 

☆ 補足の独言

 普段は、実のない佞を否定し、音楽の美しさを愛して已(や)まない孔子です。しかし孔子は、佞だから駄目、美だから素晴らしい、というような杓子定規(しゃくしじょうぎ)な考え方はしません。「我が道、一以て之を貫く」(里仁第四、十五章)と言っているように、総てはそれが自分の誠実な心と一致しているか如何(どう)か、ということを吟味した上で判断されています。この章の言葉は一般論では全くなくて、南子とその愛人の末路を悼(いた)む思いから、思わず出た言葉でしょう。だから、美があっても、という一面だけを言っているのではないでしょうか。一般論であれば、「今の世は、佞と美が有るか無いかということに踊らされて栄枯盛衰(えいこせいすい)を繰(く)り返す情けない世の中だ」とかいうような内容になるのではないか、と思うのです。