6 雍也第六 22

Last-modified: Thu, 06 Apr 2023 20:54:51 JST (393d)
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☆ 雍也第六 二十二章

 

 子曰 齊一變 至於魯 魯一變 至於道

 

 子(し)曰(いは)く、斉(せい)一変(いっぺん)せば、魯(ろ)に至(いた)らん。魯一変せば、道(みち)に至らん。

 

☆ 意訳 (心理屋の勝手解釈)

 姜子牙(きょうしが)太公望(たいこうぼう)呂尚(りょしょう)は、彼(か)の周(しゅう)の文王(ぶんのう)西伯(せいはく)姫昌(きしょう)の見出(みいだ)した最高の軍師です。文王は亡くなりましたが、息子(次男)の武王(ぶおう)姫発(きはつ)を助けて、周王朝を建国した最大の功労者です。そして父文王の衣鉢(いはつ)を継いで、周の国の内政を整え充実させて、国の精神的な礎(いしずえ)を築(きづ)いたのが、武王の弟(四男)周公旦(しゅうこうたん)です。周建国の後(のち)、呂尚は斉(せい)を治め、周公旦は嫡子(ちゃくし)の伯禽(はくきん)に魯(ろ)を治めさせました。

 斉は偉大な軍師、呂尚の子孫の治める国であり、管仲(かんちゅう)という名宰相(さいしょう)を得た桓公(かんこう)は最初の中原(ちゅうげん)の覇(は)者となり、覇王とは言え、世界に平和を齎(もたら)せた偉人です。それに、つい先頃まで晏嬰(あんえい)(晏平仲(あんぺいちゅう))殿が、厳しく我が身を律して国を守ってこられました。

 今はどの国も乱れに乱れてきていますが、それでも斉の国には未(ま)だ建国当初の伝統が息づいています。ですから、この斉の国が今一歩礼を重んずるようになれば、我が魯国と同程度の素晴らしい国になるのではないでしょうか。

 そして我が魯国は、周公旦以来の伝統が何処(どこ)の国よりも大きく残っています。ですから、この魯の国が今一歩礼を重んじるようになれば、人の道を実践することができる理想の国になれるでしょうに・・・後(あと)一歩なのですが・・・この「後一歩」が難しいですね・・・

 と、このように先生が言われた、と聞いたのですが、これは一寸信じ難いことです。先生はこよなく魯の国を愛しておられました。そして、呂尚や管仲の国である斉が大好きでした。しかし魯が他所(よそ)の国よりも増(ま)しだ、とか、後(あと)一歩で理想的な国になる、なんて思いを懐(いだ)いている、というようなことは聞いたことがありません。魯への愛が強いだけに一層、魯公や三桓(さんかん)に対する歎きや憤りが大きかったのではないか、と思われます。

 とは言え先生が、世に平和を齎した呂尚や管仲を高く評価し、そのもう一つ上に、礼を制定して平和を安定させた周公旦の願いを復活させたい、という気持ちを象徴した言葉としては、とても能く解ります。

 

☆ 補足の独言

 この章も如何しても、孔子がこのようなことを言うとは思えません。仁者らしからぬ発言です。一つは、比較の優劣を論じていること。そして、魯の現実を無視して願望を述べていること、です。はてさて如何したものか、と悩んだ挙句(あげく)、このような訳になってしまいました。