6 雍也第六 23

Last-modified: Wed, 12 Apr 2023 14:34:57 JST (386d)
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☆ 雍也第六 二十三章

 

 子曰 觚不觚 觚哉 觚哉

 

 子(し)曰(いは)く、觚(こ)、觚ならず。觚ならんや、觚ならんや。

 

☆ 意訳 (心理屋の勝手解釈)

 先生には骨董(こっとう)趣味があって、古(いにしえ)のものを好み、新しいものを嫌う、と思われている節(ふし)がありますが、それは全くの誤解です。確かに先生は、昔のものを愛でることが多く、新しいものを嫌うことが能くあったのは、その通りです。しかし先生の好き嫌いは、古さには関係ありません。先生は音楽が大好きで、琴の名手でもありましたが、実は先生は音楽だけではなく、何でも美しいものが大好きでした。しかし、その美しさは目や耳などの五感を心地良くさせる美ではありません。魂を揺さぶり魂を安らげる美を求めておられたのです。そこに宿っていてそこから出てくる魂を愛し、大切にしていたのです。古のものには、そのような魂の籠もったものが沢山ありました。ですから嫌でも骨董趣味になってしまうのです。そして先生は魂を愛するが故に、手抜きの遣(や)っ付(つ)け仕事を何よりも嫌われました。世の中が乱れてきて礼が失われ、下剋上の戦乱の世になってくると、凡(あら)ゆるものに遣っ付け仕事が蔓延(まんえん)してきます。先生はそのような現実を深く嘆いておられました。

 或る時、先生がこんなことを言われました。

 儀礼に用いる杯(さかづき)に「觚(こ)」と言われるものがありますが、これがその「觚」だと言うのですか。悲しいことですねえ。これは擬(まが)い物です。このような物を觚とは、決して言えません。

 と、抑えきれない怒りと歎きを露(あら)わにしながら、話を続けられました。

 儀礼に用いられるものには精神、魂が籠められてないといけません。微妙な形の創りにも、全体に施された絵柄にも、一つ一つ皆意味があるのです。その形や模様や感触といったものが、用いる人の心に訴えてきて、心が安まり、大切な儀式の世界に入ることができるのです。魂が籠もってない、ということは、手抜きの仕事をしている、ということです。こんな粗雑なものを觚として用いるとは・・・これが本当に觚だとでも言うのですか。嗚呼嘆かわしい。こんな物が觚として通用しているなんて。

 

☆ 補足の独言

 『論語』の最初は、恐らく竹簡(ちくかん)に書かれたものであろうと言われています。そのため、できるだけ簡潔な文章が要求されたのでしょう。それで、何のことを言っているのか、如何いう意味に理解すれば良いのか、さっぱり解らない、というものが沢山あるようです。この章などはその代表格でしょう。どう訳してもピンと来ないならば、自分が納得するように好き勝手な訳をしても善いであろうと勝手に決めて、このように訳してみました。