6 雍也第六 25

Last-modified: Thu, 01 Jun 2023 17:06:12 JST (336d)
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☆ 雍也第六 二十五章

 

 子曰 君子博學於文 約之以禮 亦可以弗畔矣夫

 

 子(し)曰(いは)く、君子(くんし)博(ひろ)く文(ぶん)を学(まな)び、之(これ)を約(やく)するに礼(れい)を以(もっ)てせば、亦(また)以て畔(そむ)かざる可(べ)し。

 

☆ 意訳 (心理屋の勝手解釈)

 先生が言われました。

 心の広い大きな人になるためには、先づ以ては読書を確りとすることです。それも凡(あら)ゆる分野に及んだ様々な人達の書物を、片っ端から学ぶと良いですね。しかし、そうやって知識を増やしただけでは、心はちっとも大きくはなっていません。そうやって得た知識を、自分で深く能く考えて整理をし、全体が理解できて真髄や要点が掴(つか)めるようになることが大切です。しかし人は独りで考えると、得てして自己中の独善に陥(おちい)り易(やす)いものです。それを避けるためには、他者(ひと)への配慮、思い遣(や)りの心が必要となります。相手を尊敬し、その人の気持ちを大切にする思いで以て、学んだ知識を実践できているかどうか、ということです。それができていれば、独善に陥って道から外れる、ということにはならないでしょう。

 

☆ 補足の独言

 この章は割と素直に納得し易い章のように思えます。思うにこの章の一番大切な所は、『約之以禮(これをやくするにれいをもってす)』の文章ではないでしょうか。学んだことを整理して理解し、それを実践するときに、礼の心がなくてはならない、と言うのです。繰返し申しますが、礼は形式ではありません。礼は心です。(八佾第三、三章)(人にして仁あらずんば、礼を如何(いか)にせん:仁は思い遣りの心です。礼は形式ではありません。大切なのは仁の思い遣りの心なのです。この心がなければ礼とは言えないのです。)

 博学が望ましいのは当然ですけれども、相手を敬う心が無ければ、道を外れるような悍(おぞ)ましいことにもなりかねませんよ、ということなのでしょうね。