6 雍也第六 26

Last-modified: Fri, 09 Jun 2023 11:50:29 JST (329d)
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☆ 雍也第六 二十六章

 

 子見南子 子路不說 夫子矢之曰 予所否者 天厭之 天厭之

 

 子(し)、南子(なんし)を見(み)る。子路(しろ)説(よろこ)ばず。夫子(ふうし)之(これ)に矢(ちか)ひて曰(いは)く、予(わ)が否(ひ)なる所(ところ)の者(もの)は、天(てん)之を厭(た)たん。天之を厭たん。

 

☆ 意訳 (心理屋の勝手解釈)

 先生が亡命して衛(えい)の国に行ったとき、その頃の衛の王さんは霊公(れいこう)というとても喰(く)えない大古狸のお爺さんでした。若い(六十前の)先生には歯が立たなかったようです。霊公からは大変な厚遇(こうぐう)を受けながらも、一番肝腎な政治には全く携(たづさ)わらせてもらえない。先生は何年も身動きならず何もできないまゝ衛の国に留(とゞ)め置かれてしまったのです。

 扨(さて)、霊公には後妻(ごさい)の南子(なんし)という絶世の美女がおりました。先妻との間には蒯聵(かいかい)がいましたが、霊公から見て、国君(こっくん)の器(うつわ)ではなかったようです。

 恐らく霊公は偉大な政治家だったのでしょう。この戦乱の世であの弱小な衛国を四十年以上も守り抜いてきたのですから。愚かな振りをして美事に人を活かし操っていたようです。その惚(とぼ)け振りは、「霊公」(偉大なのか愚かなのか解らない王様の意味)と諡(おくりな)された程ですから。その霊公も、蒯聵(かいかい)の不甲斐(ふがい)なさなどで、我が亡き後(あと)の衛の行く末が心配でならなかったのでしょうね。

 霊公は深く南子を愛し信頼していたようで、二人の間には深い絆(きづな)が培(つちか)われていたようです。しかし南子には子供ができませんでした。この頃の支配者階級の慣習では、妻や妾の産んだ子は、総て自分の子として認知すれば通りました。そうやって後継者を確保し、領土を守るのが領主の使命だったのです。何とか南子に子供が欲しい、と願っていた霊公は、南子が嫁入りしてくる前の恋人朝(ちょう)を南子の母国宋(そう)から呼び寄せたようです。これまた超美男子だったようですが。それで巷(ちまた)では「南子は淫乱な女だ」という評判が立ってしまったのでしょう。南子は、男なら誰でも蹌踉(よろ)めいてしまいそうな美人です。当然子路(しろ)も蹌踉めきました。彼は蹌踉めいた自分が恐(こわ)くて、必死の思いで南子を淫乱な悪女と思い込み、南子を毛嫌いすることで自分を守ったようです。先生が南子と会って、変な噂でも立ったらお終いだ。今迄説いてきた仁の教えが総て嘘になってしまう。そう思ったのでしょうね。その不安は、子路が自分の情欲を抑(おさ)えるための涙ぐましい健気(けなげ)な努力から生じたものであるとは、本人自身全く思いも寄っていないに違いありません。

 先生は南子に会われました。南子は、あの古狸の霊公が愛して已(や)まない程の女性です。並や大抵の器量で霊公のお相手が務まる訳がありません。先生は実際に会ってみて、巷の噂とは全く違う素晴らしい女性である、と解りました。これには流石(さすが)の先生も、情愛の感情を動かされてしまったようです。しかし先生は、情愛に流されるような意志薄弱な小人ではありません。精一杯頑張って、情欲に負けて礼から外(はづ)れることのないように、と遣り抜いたのです。ところが、そのような先生の気持ちも知らずに、子路は機嫌(きげん)が悪い。南子との会見でエネルギーを使い果たしてへとへとになっていた先生は流石にカチンときたようです。

 由(ゆう)ちゃん、貴方はそんなに私のことを信じられないのですか。貴方は信心深いところがあるから、神掛けて誓いましょう。若しも私の行いに天命に少しでも反することがあったならば、天は必ずそのような私を嫌って見捨てるでしょう。そのようなことは、譬え貴方が赦しても、天は決して赦しません。勝手に要らぬ心配などせずに、天を信じるならば私のことも信じて安心してください。間違ったことをすれば、天は決して赦しませんから。そのことは誰よりも私が一番能く心得ていますよ。

 子路は言い包(くる)められて引っ込みましたが、不安ともやもやは解消しないまゝでした。何故なら、原因は自分の情欲にある、ということに子路自身が気付いていないからです。しかしまあ、こんな素晴らしい健気な愛す可き子路ですから、このまゝこれで良いのでしょうね。

 

☆ 補足の独言

 この章の末尾は「天之を厭(いと)う」という文が二度繰(く)り返されています。文意は繰返しがなくても通じます。それを繰り返すということは、そこに強い感情が籠(こ)められている、ということが感じられます。孔子は何を、何故(なぜ)こんなにも感情を剥(む)き出しにしてしまったのでしょうか。

 一般に人は、疾(やま)しい気持ちがあってそれを指摘されたときに、感情的にわっと反応してしまうものです。図星を突くという奴ですね。それともう一つあります。自分が精一杯努力して頑張っているのに、それが理解されず、誤解され非難されたときです。子供に対して親や教師が注意をしたときに、子供が突然感情的になる、今の流行(はやり)の言葉で言えば「切れる」ということがよくあります。そのとき、親や教師は「どうだ、図星だろう」と思い込んで、意を強くして一層お説教に励(はげ)む、という場面がよくあります。でも実は子供の方は、自分の努力が解ってもらえない、という正当な怒りの表現である場合もよくあるのです。何方(どちら)の場合もある、ということを心して子供達を看守ってやりたいですね。

 話を孔子に戻しますと、孔子は子路が解ってくれないことで、感情的な、乃ち心の狭い小人的な反応をしてしまった、ということでしょう。君子である筈の孔子が、何故小人になってしまったのか。その理由は、南子が素晴らしい女性だったから、ということが考えられます。霊公も孔子も、美貌だけで蹌踉(よろ)めくようなお粗末な男ではありません。彼女の心の美しさに恋をしてしまった自分。この本能的な情欲に打ち勝たねばならない。孔子はそれを遣(や)って退(の)けた訳ですから、精も根も尽き果てていたことでしょう。そんな妄想から、このようなお話しを捏(でっ)ち上げてみました。