6 雍也第六 28

Last-modified: Fri, 30 Jun 2023 13:29:50 JST (308d)
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☆ 雍也第六 二十八章

 

 子貢曰 如有博施於民 而能濟衆 何如 可謂仁乎 子曰 何事於仁 必也聖乎 堯舜其猶病諸 夫仁者 己欲立而立人 己欲達而達人 能近取譬 可謂仁之方也已

 

 子貢(しこう)曰(いは)く、如(も)し博(ひろ)く民(たみ)に施(ほどこ)して、能(よ)く衆(しゅう)を済(すく)ふこと有(あ)らば、何如(いかん)。仁(じん)と謂(い)ふ可(べ)きか。子(し)曰く、何(なん)ぞ仁を事(こと)とせん。必(かなら)ずや聖(せい)か。堯(げう)・舜(しゅん)も其(そ)れ猶(なほ)諸(これ)を病(や)めり。夫(そ)れ仁者(じんしゃ)は、己(おのれ)立(た)たんと欲(ほっ)して人(ひと)を立て、己達(たっ)せんと欲して人を達す。能(よ)く近(ちか)く譬(たとへ)を取(と)るを、仁の方(みち)と謂(い)ふ可きのみ。

 

☆ 意訳 (心理屋の勝手解釈)

 子貢(しこう)が先生に尋ねました。

 私は仁者(じんしゃ)としての実践ができるようになりたいのですが、若(も)しも、どのような人に対しても分け隔(へだ)てなく援助を施(ほどこ)し、総ての民を救ってしあわせにすることができたならば如何(どう)でしょうか。それだったら心の広い人、仁と言っても善いのでしょうか。

 先生が言われました。

 そうですね。それこそが究極の目指すところですね。しかしこれは実現できた人はいません。勿論私もできていません。それは、仁を超えたことで、強(し)いて言うならば「聖(せい)」と呼ばれる領域になるのでしょうね。聖天子と崇(あが)められている堯(ぎょう)や舜(しゅん)ですらそれができなくて悩みながら努力し続けたのです。聞くところによると、南方の天竺(てんじく)という国では、「この世で一番賢い弥勒(みろく)という小父(おじ)さんが、生きとし生けるもの総てが救われてしあわせになる方法を考えるために修行中だから待っておれ」という都市伝説が広まっているらしいですね。しかしその弥勒という宇宙一賢い小父さんでさえ、答えを見つけるのに五十六億七千万年掛かるということだそうです。そのような理想を求めるのは、「聖」であって「仁」ではありません。

 心の広い人になるためには、そのような不可能な完璧を目指すのではなく、身近に実践できることを修行することが大切です。

 仁、広い大きな心というのは、思い遣(や)りの心のことです。小人(しょうじん)の狭い小さな心というのは、自分の利益、損得しか考えない自己中心的で我儘(わがまゝ)な心ですね。

 仁に近づくためには、自分にできる身近なところから叮嚀に如何(どう)することが本当の思い遣りになるのか、ということを考えながら実践していくことです。

 例えば、自分が出世したい、という願いを持っているとします。そのために必死で努力をしたとしたならば、それは自分のための努力でしかなくて、広く周囲の人を思い遣るということができていない状態ですね。広い心であれば、他者(ひと)の思いに心を配って、その人達を援助する、という行動が起こります。自分のことより他者の気持ちに思いを馳(は)せることが起こるのです。簡単に言えば、自分が出世したかったら人を出世させてあげる、ということになるのです。そのような実践の積み重ねこそが、広い心、仁へと繋(つな)がる道なのです。

 唯、気を付けて欲しいのは、私は「己(おのれ)の欲(ほっ)せ不(ざ)る所、人に施すこと勿(な)かれ(衛霊公第十五、二十三章他)」と何度も言っています。自分がされて嫌(いや)なことは他者(ひと)もされたら嫌がることが多いから、能く配慮して気を付けましょう、ということですが、自分が望むことは他者(ひと)も望んでいるだろうから、彼のためにしてあげよう、と安易に思うのは大変危険なことです。望みや慾望は人夫々(それぞれ)です。彼にとっては何が望ましいのか、その都度(つど)能く能く理解しなければなりません。深く考えもしないで、自分がしたいことやして欲しいことをしてあげる、という善意では、相手のことを考え思い遣っていることにはなりません。自分のことを考えて相手に当て嵌(は)めているだけで、独り善(よ)がりな自己中からは一歩も出ていない、ということになります。それでは折角の親切が、迷惑なお節介(せっかい)になってしまうことも起こり得ます。善意のお節介は、気持ちが嬉しいだけに厄介(やっかい)なものです。

 私が言いたいのは、自分のことを考える前に、他人(ひと)のことを考えるように、ひとを思い遣るようになりなさい、それも尊敬の念をもって深く思いを馳せて、ということです。これは日常生活の中で何時でも修行できることですね。このような実践をしながら、賜(し)ぃちゃん(子貢)の言った「聖(せい)」の有(も)つ理想を忘れないでいる、とできたら善いのです。

 

☆ 補足の独言

 堯舜伝説は、孔子の時代には未だ確立しておらず、堯舜がもて囃(はや)されるようになったのは孔子の百年後の孟子の頃から、ということらしいです。ということは、この章も後世の創作、と考えて良いのでしょう。創作話の定型として「子貢が何かを言ったら必ず孔子がけちを付けて否定する」という図式があるようです。この章もそうなっていますが、教育者である孔子が、頭っから相手を否定してその鼻をへし折り気を消沈させる、というようなことをする筈がないでしょう。教育者は先づその人の良さを確りと認めた上で、修正す可き所は修正し、指導す可きことを教授します。この点からも、創作臭がプンプンしてきます。

 それからもう一つ。「己(おのれ)立たんと欲(ほっ)して人を立て、己達(たっ)せんと欲して人を達す。」とありますが、これは「己の欲せ不る所、人に施すこと勿(な)かれ」を捩(もじ)って、逆も真なりと、深くも考えずに孔子の言葉として作ったのではないでしょうか。しかしこれは衛霊公第十五、二十三章にあるように、この一言(いちげん)さえ実践し続けていたら死ぬまで事足りる、と言う程に重要な一言です。そこには「嫌なことはするな」とあるだけで、対になる「嬉しいことはしろ」はないのです。こゝに孔子の深い人間理解がある、と感じます。この章は一見如何(いか)にも、と思えますが、こんな実践ができる訳ないし、形の上でやったところで、仁とも恕とも関係のない虚しい作業になってしまうと思います。何故なら、自分の独り善がりな自己満足から一歩も出てないからです。