7 述而第七 1

Last-modified: Sat, 15 Jul 2023 18:05:07 JST (293d)
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☆ 述而第七 一章

 

子曰 述而不作 信而好古 竊比我於老彭

 

子(し)曰(いは)く、述(の)べて作(つく)らず。信(しん)じて古(いにしへ)を好(この)む。窃(ひそ)かに我(われ)を老彭(らうはう)に比(ひ)す。

 

☆ 意訳 (心理屋の勝手解釈)

 先生が言われました。

 私は仁者であって、聖人ではありません。仁者は古(いにしえ)の聖人の教えを能く学(まな)び、それを実践して、その実体験を通して、聖人の言葉を深く理解し、其れを皆に伝えるのです。実践をするということは、学んだことをその儘(まゝ)真似(まね)るということです。「学(まね)びて学(まな)ぶ。」これが本当に学(まな)ぶ、ということであって、仁者はこのことに徹しています。聖人の真似をして「これは自分が発見した真実だ」等(など)と言うのは傲慢(ごうまん)過ぎて、痴(おこ)がましいにも程(ほど)があります。真似をして自分が勝手に作るのではありません。聖人の言動を真似て真実を理解するのです。仁者はそれを述べ伝えるだけなのです。

 私は古の聖人の言葉を心から信じています。そして、その聖人達の伝えてくれる古の真実の世界が大好きなのです。

 昔、周(しゅう)王朝が開かれる前の殷(いん)王朝の初め頃に、老彭(ろうほう)という仁者がおられました。私と同じくして学(まね)び学(まな)んでいた人です。実は私は、この立派な仁者である老彭を心から尊敬しているのですが、自分の心の内では、私はこの老彭とよく似ていると思えて、それがとても満足な嬉しいことなのです。

 

☆ 補足の独言

 以前私は陶器に凝っていました。研修や学会などで他所(よそ)へ行くと、時間があれば必ず窯元や陶器店に足を運んでいました。私の趣味は陶器の値段を当てることでした(買うお金が無いので)。高校の頃から、百貨店に行くと、茶碗の値段を当てる、という遊びをしていたので、窃(ひそ)かに自信がありました。或る時、瀬戸物の本場、美濃(みの)に行ったときのことです。何(ど)の店も何の店も、私の受ける感じより五割高い。而(しか)も魅(ひ)かれる作品がない。「あーあ、美濃は名前に胡坐(あぐら)を搔(か)いて駄目になってしまったか、とがっかりして翌朝街を出て車を走らせていました。暫(しばら)く行くと、道沿いに感じの良い大きな美濃焼の店がありました。入ってみて驚きました。値段が私の感覚とぴったり合うのです。而も、安い物も感じが良い。魅力的な茶碗が一杯です。店に陶器の博物館がある、と書いてあったので、店員さんに尋(き)くと、この店「美濃焼園」の社長渡邉日出人さんが、鍵を持って出てこられました。「御案内しましょう」と隣の建物の地下の展示室へ連れて行って下さいました。何百万円もする桃山時代の茶碗から、今の陶工の作品まで、渡邉さんの眼鏡に適った作品だけをこの地下室に置いている、とのことでした。本当に素晴らしい作品許(ばか)りで、夢のような空間でした。その店には朝行ったのですが、渡邉さんはずっとお相手して下さり、夕暮れまでずっとお話しをして下さいました。途中奥様がお茶を出して下さり、コーヒーを出して下さり、手作りのお握(にぎ)りまで戴きました。私の陶器に関する知識は、この時渡邉さんから教えて頂いたことが総て、といった感じですが、本当に面白く勉強になり、あっという間の一日でした。

 漸(ようや)く本題に入りますが、この時渡邉さんが強く言っておられたことが印象に残っています。

 「陶器は桃山時代の物が最高です。それは突然出現し、その後はその域に達する物は二度と出ていません。ですから桃山以降の陶器作りは、その解明と模倣(もほう)の血の滲(にじ)むような努力の歴史なのです。桃山の作品を真似(まね)ぶ中に、陶器作りの基礎の総てがあります。陶工達はその修行研鑽を日夜積み重ねながら、名声にも富(とみ)にも無縁な貧乏生活に甘んじて、夢を追い続けているのです。

 陶芸家と名乗る連中を、私は大嫌いです。彼等はこういった基礎を陸(ろく)に身に付けもせずに、自分の芸術的感性とやらを振り回して、実用的でない奇抜で派手な作品を作り、それを評論家がもて囃(はや)して、人間国宝だの何だのと名誉を与え、巨万の富を築いているのです。ここに置いてある家(うち)の陶工達の作品、素晴らしいでしょう。彼等は私の厳しい要求に泣きながら耐えて応えてくれています。」

 この章を読んだとき、真っ先に浮かんできたのが、渡邉さんのこの言葉でした。