6 雍也第六 5
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☆ 雍也第六 五章
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子曰 回也 其心三月不違仁 其餘則日月至焉而已矣
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子曰く、回(くわい)や、其の心(こころ)三月(さんげつ)仁(じん)に違(たが)はず。其の余(よ)は則(すなは)ち日(ひ)に月(つき)に至(いた)れるのみ。
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☆ 意訳 (心理屋の勝手解釈)
先生が言われました。
回(かい)ちゃんや。自分の心が何ヶ月でも延々と、仁の心、乃ち我慾に囚われず他者を敬愛して思い遣る、という心から外れることが無くなれば善いのです。これが最も難しいことですから、これさえできれば、其の他(ほか)の礼や信などの修業は簡単です。仁に違(たが)わないために行ったような命懸けの努力などは、もうしなくても大丈夫です。命懸けの三月(みつき)で身に付けた仁の心が日常となるでしょうから。他(ほか)の徳目や学問に関しては、仁の心に従った自然体で日々の生活を営んでいれば、僅(わづ)かな月日の内に自(おの)づと理解できて達成するものです。
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☆ 補足の独言
「回也 其心三月不違仁 其餘則日月至焉而已矣」
これを何と訳せば良いのか。訳例を幾つか挙げてみたいと思います。
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・「回(かい)は心を仁(じん)に保つことが三ヶ月もできました。其の他(ほか)の者は、一日か、良くて一月(ひとつき)仁でいることが精一杯でした。」
・「回は心を仁に保つことが何ヶ月でも延々とできました。其の他の弟子達は、一日か、長くて一月仁でいることが精一杯でした。」
・「回よ、三月(みつき)心を仁に保てたならば、其の他(ほか)のことは、一日(いちにち)か、難しいことでも一月(ひとつき)もあれば、習得し終えるでしょう。」
・「回よ、三月(みつき)仁の心を保てたならば、其の他のことは、特別な努力をするまでもなく、普段通りの努力の儘(まゝ)で習得し終えるでしょう。」
・「回は仁を身につけるのに三月かゝりました。其の他のことは一日か長くても一ヶ月で身につけました。」
・「回よ、三ケ月仁の心を保てたならば、その後(あと)は月日の儘に自然に仁の内に居終えるようになりますよ。」
・「回は仁を身につけるのに三月を要しただけです。其の他のことは普段からもう既にでき終えていました。」
・「回は三月仁を学んだだけで仁の心から外れなくなりました。其の他のことは、いとも簡単に学び終えたのです。」
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もっと色んな訳があるのでしょうが、漢文の素養の無い私には、如何(どう)訳すのが正しいのか解りません。私としては、如何訳すことが一番孔子らしい発言と思えるか、と悩んで、勝手解釈の訳になりました。