7 述而第七 10

Last-modified: Thu, 21 Sep 2023 22:37:46 JST (224d)
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☆ 述而第七 十章

 

 子謂顏淵曰 用之則行 舍之則藏 唯我與爾有是夫

 子路曰 子行三軍 則誰與 子曰 暴虎馮河 死而無悔者 吾不與也 必也臨事而懼 好謀而成者也

 

 子(し)、顔淵(がんえん)に謂(い)ひて曰(いは)く、之(これ)を用(もち)ふるときは則(すなは)ち行(おこな)ひ、之(これ)を舎(す)つるときは則ち蔵(かく)す。唯(ただ)我(われ)と爾(なんぢ)と是(これ)有(あ)るかな。

 子路(しろ)曰く、子、三軍(さんぐん)を行(や)らば、則ち誰(たれ)と与(とも)にせん。子曰く、暴虎(ばうこ)馮河(ひょうが)して、死(し)して悔(く)ゆること無(な)き者(もの)は、吾(われ)は与(とも)にせず。必(かなら)ずや事(こと)に臨(のぞ)んで懼(おそ)れ、謀(はかりごと)を好(この)んで成(な)さん者(もの)なり。

 

☆ 意訳 (心理屋の勝手解釈)

 先生が顔回に言われました。衛(えい)の国の家老であった甯武子(ねいぶし)という方は、正しい筋道の通る立派な王さんの下(もと)では全身全霊を尽くして職務を全うし、筋の通らない無能な王さんの下では愚かを装って完全に身を隠し、無駄死にせぬよう心得ていました。威張りたい、認められたい、というのは人の性(さが)ですから、賢い振りをするのは無理な背伸びをして皆を騙せば良いだけなので簡単ですが、愚かな振りというのは認められたい欲求に逆らうものであり、軽蔑される辛さは堪え難いものがあって、そう簡単に真似のできるものではありません。(公冶長第五、二十一章)

 理解してもらえて用いられたならば、存分に力を発揮して行い、理解してもらえず、馘首(くび)になったならば、その儘政界や権力闘争の世界から身を隠して、伸び伸びとした気持ちで日々を過ごしながら時が至るのを待つのです。これができるのは私と回ちゃんくらいのものでしょうね。・・・否(いや)、私はこの世界を少しでも早く皆が平和に暮らせる善いものにしたい、という欲求が強過ぎて、身を隠すということができているとは言い難いですね。うん、これができているのは回ちゃんだけのようですね。

 この話を聞いていた子路は思いました。

 うん、確かに然(そう)だなあ。俺には馘首(くび)になってその儘(まゝ)大人(おとな)しく身を隠して待つなんてとてもできそうにはないな。しかし、重用されていての中での有事の際には、俺の自慢の精神力と腕力武力が絶対に必要なのではないのか。実際にこの俺の力で何度も先生の危機を救ってきたし。

 そこで子路は先生に尋ねました。

 先生が若し総帥(そうすい)として国の全軍の指揮を委ねられたとしたら、副官には誰を持ってきますか。

 先生は悪戯(いたづら)っぽく笑って言われました。

 棒の一本も持たずに素手で虎を殴り倒したり、あの大黄河(こうが)を船にも乗らずに徒(かち)で渡ったりして、私は自分のできる限りのことをやった。だから死んでも悔いはない、というような輩(やから)とは金輪際(こんりんざい)一緒に戦いたくはないですね。私は死にたくないですから。

 まあ、冗談はこれくらいにしておきましょう。

 私はこれまで何度も何度も由(ゆう)ちゃん(子路)に助けられてきました。それは由ちゃんが精神力と武力の限りを尽くして自分の生命(いのち)を懸けて私を守ってくれたからです。でも、三軍の師(し)となると然(そう)はいきません。三万人の部下の兵士の生命を預かっているのです。若し自分が死ねば、私を守ることも部下を守ることもできなくなってしまいます。素手で虎に勝つ自信があっても、より安全を期して武器を持たねばなりません。自分は徒で黄河を渡れても、溺れた部下に対する責任は如何(どう)する心算(つもり)ですか。精神力だけではなく、万一の事態を心底恐れて、慎重が上にも慎重になる。これこそが本当の勇気です。部下の生命を守るためには権謀術数(けんぼうじゅっすう)、知力を尽くして必ず勝つという展望が持てることです。

 由ちゃんは、私の知る限り最高の軍師ですが、恐れる、という勇気に少し欠けるところがあって、その点だけが心配でなりません。呉々も心しておいて下さいね。

 

☆ 補足の独言

 この章は、読めば読む程納得がいかなくなってきました。前半は、顔回のこととしては成る程そうかもしれないな、と思えますが、これは孔子の思想、姿勢とは違うように思えます。論語に出てくる孔子を非難否定する隠者達の思想であり、孔子が人生を懸けて戦った在り方とは相容れないもののように思えます。

 後半は、子路の実績を完全に無視した、根も葉もない非難中傷以外の何物でもないのではないでしょうか。孔子は子路をからかうのが楽しいようですが、それらは愛と信頼に満ちています。子路は政治軍事に特に優れていると評価され孔門十哲に入っています。これは子路が暴虎馮河では全く無かった、という証拠です。余程子路の行動力を嫌った者の捏造(ねつぞう)した誹謗中傷でしょう。

 若し孔子がこのような類(たぐい)のことを言うとしたら、如何言うことになるのだろうか、という思いで訳してみました。