7 述而第七 13

Last-modified: Fri, 06 Oct 2023 18:30:29 JST (209d)
Top > 7 述而第七 13

☆ 述而第七 十三章

 

 子在齊 聞韶三月 不知肉味 曰 不圖 爲樂之至於斯也

 

 子(し)、斉(せい)に在(あ)り。韶(せう)を聞(き)くこと三月(さんげつ)。肉(にく)の味(あじはひ)を知(し)らず。曰(いは)く、図(はか)らざりき、楽(がく)を為(な)すの斯(ここ)に至(いた)らんとは。

 

☆ 意訳 (心理屋の勝手解釈)

 先生が三十五歳の頃、魯(ろ)の国で政変が起きて、王さんの昭公(しょうこう)が隣の斉(せい)の国に亡命を余儀なくされました。それで先生はお供として一緒に斉に行かれました。そのときの話です。

 斉は周(しゅう)建国の立役者(たてやくしゃ)太公望呂尚(りょしょう)を始祖とする大国で、周公旦(しゅうこうたん)を祖とする魯と並んで、最も由緒(ゆいしょ)正しい周の文化を継承(けいしょう)している国でした。

 音楽好きの先生は、こゝで、魯では聴いたことのない「韶(しょう)」という曲を聴いて感動し、何ヶ月もかけてその曲を学び習いました。習っている間は、その曲に完全に心を奪われてしまって、他(ほか)に気持ちが全く行きませんでした。そのため、如何(どん)な美味しい高級料理を出されても、心料理(こゝ)にあらずで、味がわからない程でした。

 そして言われました。

 何ともはや、全く以て思いも寄りませんでしたねえ。音楽をする、学ぶということが、斯(か)くまで深く心の世界に導いてくれるものであるなんてことは。本当に凄(すご)いことです。

 「韶」は古代の伝説の皇帝である舜(しゅん)の作った曲と言われていますが、その真偽(しんぎ)の程はともかくとして、美しい音楽です。そして本当に清らかな音楽です。(八佾第三、二十五章)

 

☆ 補足の独言

 孔子は周公旦をこそ尊敬していたのであって、本当に堯(ぎょう)舜(しゅん)などの伝説の三皇五帝(さんこうごてい)について言っていたのだろうか。堯舜の名前が出てきたら、総て後世の創作挿入と見て良いのではないか、と思っています。

 それはそれとして、この章は、孔子の音楽観を能く表しているとみることができて面白いですね。

 孔子は音楽が大好きだったようです。しかし、如何(どん)な音楽でも善いのではなく、古典音楽、クラシックに限られていたようです。軽音楽、ポップスは毛嫌いしていた節があります。孔子にとって音楽は、心の感情表現ではあるけれど、否定的な感情を鎮(しづ)め、心を浄化し、人格を高めるためのものです。怠惰な感情を助長し人格を低下させるような音楽は許せなかったようです。

 この章では、人格を高める音楽に出会ったときの孔子の姿が誇張されて表現されている、とみてもよいのではないでしょうか。何かに本当に魅(ひ)きつけられた時には、心は全面的にそこだけに行ってしまいます。そしてそれ以外は全て心こゝにあらずとなってしまうのでしょう。物凄(ものすご)おーい集中力ですね。

 この章が事実であったのであれば、その後(のち)孔子は、演奏して良い機会があれば、何度も演奏しているのではないか、と思うのが自然です。大好きで而も完璧に身に付けているのですから。しかし論語の何処(どこ)にもそのような形跡がありません。