7 述而第七 23

Last-modified: Sat, 09 Dec 2023 10:14:01 JST (146d)
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☆ 述而第七 二十三章

 

 子曰 二三子 以我爲隱乎 吾無隱乎爾 吾無行而不與二三子者 是丘也

 

 子(し)曰(いは)く、二三子(にさんし) 、我(われ)を以(もっ)て隠(かく)すと為(な)すか。吾(われ)、隠すこと無(な)きのみ。吾行(おこな)ふとして二三子と与(とも)にせざる者(もの)無し。是(こ)れ丘(きう)なり。

 

☆ 意訳 (心理屋の勝手解釈)

 或る日の孔子学園でのことです。皆がわいわいと雑談をしていました。それを聞いていて、先生が言われました。

 貴方(あなた)達は、私が皆さんに隠している、もっと高尚な秘伝があるのではないか、と思っているようですね。残念ですが、私には皆さんに対しての隠し事は一切ありませんよ。学問を本当に身につけるためには、出し惜しみをしないことです。自分の有(も)っている総てを皆に与えることこそが、皆さんにとっても私自身にとっても、最も有益なことになるからです。私の有っているものは、私の行動と言葉に総て表れています。それを私は何時(いつ)でも皆さんと共に皆さんと一緒に行(おこな)っているのですから。隠し事なんてあり得ないことです。開かれた心があって初めて、共に成長できる世界が見えてくるのです。これが私、丘(きゅう)という人間の、そのものの生(なま)の在り様(よう)なのです。

 

☆ 補足の独言

 「蟹(かに)は甲羅(こうら)に似せて穴を掘る」という俚諺(ことわざ)がありますが、嘘吐(うそつ)きな人は他人(ひと)も嘘吐きだと思い、吝嗇(けち)な人は相手の人を吝嗇だと詰(なじ)ります。自分の姿を相手に見るのですね。教育は心を広くする、乃ち君子になるために行うものです。心を閉ざして出し惜しみしていたのでは、私が教育者失格ということになります。私には秘伝や奥義(おうぎ)といったものは一切存在しません。一子相伝もありません。総ての人に伝えたいからです。不審を懐(いだ)いたならば、改めて私の行動や言葉を能く見聞きして、自分の中に秘密主義がないか如何(どう)かを確りと省みてください。学問は友と共に心を開いて、教え合い学び合ってこそ、本当に実り豊かなものになるのです。

 

 以上を『勝手解釈』の中に入れようかと思ったのですが、止(や)めました。孔子の言葉としてはきつ過ぎるかなあ、と思って。