7 述而第七 27

Last-modified: Tue, 02 Jan 2024 00:05:32 JST (122d)
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☆ 述而第七 二十七章

 

 子曰 蓋有不知而作之者 我無是也 多聞擇其善者而從之 多見而識之 知之次也

 

子(し)曰(いは)く、蓋(けだ)し知(し)らずして之(これ)を作(な)す者(もの)有(あ)らん。我(われ)は是(これ)無(な)し。多(おほ)く聞(き)きて其(そ)の善(よ)き者を択(えら)びて之(これ)に従(したが)ひ、多く見(み)て之を識(しる)す。知(し)るの次(つぎ)なり。

 

☆ 意訳 (心理屋の勝手解釈)

 先生が言われました。

 どうも世の中には、ちゃんと知りもしないで、知ったか振りにでたらめなことを吹聴して世間を惑わせる人が多いようですね。このような信(しん)のない無責任なことは、私には絶対にできないことです。自分が勝手に思い付きや思い込みで根拠の曖昧なことを言う前に、真実を正しく知っていなければなりません。

 そうなるためには、可能な限り沢山の様々な意見を聴くことが必要です。そしてその総てを能く吟味して、どうが正しいのか間違いなのかを自分で考えて判断しなければなりません。そしてそうやって善しと判断したものを、確りと見習って自分の身につけていくのです。

 このような聴くことと、もう一つ大切なことは見ることです。正しい知を身に付けるためには、あらゆる書物を片っ端から読み漁(あさ)ることが必要です。そして大切と思えることを心に確りと明記するのです。

 このようにして、聞く作業と見る作業とを積み重ねていけば、段々と本当の知に近づいていけるのです。それは本当の知に至るための素晴らしい方法であり、誰でもが努力すれば到達できることなのです。本当の知の偉大さを知らない無知な人が、誤った新説を得意気に振り回すことが多いようですね。

 

☆ 補足の独言

 聞くことは学問的勉強、見ることは体験学習、と解釈しても面白いかな、と思いましたが、やめました。聞くのは直接師匠や先輩から聞く訳だから、体験学習、見るのは書物を見るのだから、学問的勉強、と考えた方が筋が理解し易いかな、と思ったので。