7 述而第七 28

Last-modified: Thu, 04 Jan 2024 17:50:15 JST (119d)
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☆ 述而第七 二十八章

 

 互郷難與言 童子見 門人惑 子曰 與其進也 不與其退也 唯何甚 人絜己以進 與其絜也 不保其往也

 

 互郷(ごきゃう)与(とも)に言(い)ひ難(がた)し。童子(どうじ)見(まみ)ゆ。門人(もんじん)惑(まど)ふ。子(し)曰(いは)く、其(そ)の進(すす)むを与(ゆる)さん。其(そ)の退(しりぞ)くを与(ゆる)さず。唯(ただ)何(なん)ぞ甚(はなは)だしきや。人(ひと)、己(おのれ)を絜(いさぎよ)くして以(もっ)て進(すす)まば、其(そ)の絜(いさぎよ)くするを与(ゆる)さん。其の往(わう)を保(ほ)せず。

 

☆ 意訳 (心理屋の勝手解釈)

 互郷(ごきょう)という集落がありましたが、服役後の前科者を集めて作った集落であったようです。そこの住民は非常に柄が悪く、真面(まとも)に話し合うことなどとてもできるものではない、と恐れられ、忌み嫌われていました。

 それから、童子というのは受刑者のことで、彼等は結髪(けっぱつ)を許されていませんでした。成人する前の子供も結髪していないので、何時か子供のことも「童(わらし)」「童子(どうじ)」と呼ぶようになったのです。

 さて、この互郷の村から一人の前科者が、先生に教えを受けたい、と精進潔斎してやってきました。それは礼に叶った姿勢です。先生は喜んで快くその童子を迎え入れました。それを見て、世間の先入観に汚染されている弟子達は、無理解からくる不安で大混乱に陥りました。その様子を見ていた先生は、童子が帰った後(あと)で、弟子達に嘆いて言われました。

 どんな人でも、自己成長を願って清らかな意志を持って努力をする、ということは何よりも嬉しい望ましいことです。私はそういう人とこそ共に居て協力していきたいのです。自分がより良くなりたい、という思いもなく努力もしない人とは、私は決して共に居ることはしません。貴方達は、彼を居住地と前科者という烙印だけを見て、今目の前に居た彼の心を全く見ていませんでしたね。一体如何(どう)いうことですか。彼は潔(いさぎよ)く決心をして真っ正面を向いていたのですよ。私はその決意に全面的に協力を惜しみません。皆さんも然(そう)ある可きではないですか。この孔子学園で学んだことを能く思い出して下さい。過ぎ去ったことに拘(こだわ)らずに、今の現実を観て確認するのです。

 

☆ 補足の独言

 「唯だ何ぞ甚だしきや」という言葉には、孔子の強い感情が溢(あふ)れ出ているように感じられます。どのような差別も偏見も許さない、総ての人は敬う可き存在である、という信念。信念というより、彼の有(も)っている感性から湧き出てくる感覚なのでしょうね。礼も思い遣りも総てそこから出てきているように思います。しかし人には必ず善い面と悪い面があります。孔子が善しとするのは、この善い面に関してのみです。善い面が出ているときには、それが如何(どん)な人であっても援助を惜しまないし、悪い面が出ているならば、それが如何な人であっても決して許さない。それが孔子なのです。

 この章では、その善悪が「進む」「退く」として語られていますが、その行為をする人の善悪が語られているのではありません。人の行為の善悪が説かれているのです。平等ということの深い意味合いを汲(く)み取ることができると思います。善人も悪人も、人としては平等だけれども、善は肯定されて、悪は否定されねばならないのです。