7 述而第七 3

Last-modified: Thu, 27 Jul 2023 20:47:51 JST (280d)
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☆ 述而第七 三章

 

 子曰 德之不脩 學之不講 聞義不能徙 不善不能改 是吾憂也

 

 子(し)曰(いは)く、徳(とく)の脩(をさま)らざる、学(がく)の講(かう)ぜざる、義(ぎ)を聞(き)いて徙(うつ)る能(あた)はざる、不善(ふぜん)改(あらた)むる能(あた)はざる、是(こ)れ吾(わ)が憂(うれひ)なり。

 

☆ 意訳 (心理屋の勝手解釈)

 先生が言われました。

 私が一番大切にしていることは、徳を積んで自分の心をより大きくする、という実践を、怠ることなく遣(や)り続けることです。

 弟子が訊(き)きました。

 徳って何ですか。

 先生が言われました。

 そうですね。徳とは、相手のことを能く理解して、その人を思い遣って、その人の為に自分を犠牲にしてでも手助けできることは遣っていく、という強い意志を持って実践していくことです。このようにできると、自分の行動に心残りがなく、爽(さわ)やかに安定して、心が広くなり、その落ち着きと広さに因って、理性がより明晰(めいせき)に働くようになるのです。

 それから先生は続けて言われました。

 大切なことをもう少し叮嚀に言いますと、二つ目として、学んだことはそれを能く考えて、現実に則(そく)して筋道(すじみち)を通して、自分自身の納得がいくまで考察し続ける、ということです。(為政第二、十五章)

 そして、何が正しいかということが解ったならば、速やかにその正義に我が身を置いて、それに従って行動することです。それと、自分の良くないことや間違ったことは、気が付いたならば即座に改めることです。(君子は豹変す 易経)(過ちては則ち改むるに憚(はゞか)ること勿かれ 学而第一、八章)(過ちて改めざる、是(これ)を過(あやまち)と謂う 衛霊公第十五、二十九章)

 この四つのことが確りとできていないというのは、自分として最も望まないことなので、常日頃、心して努力しているのです。皆さんにも然(そう)あって欲しい、というのが私の一番の願いです。これは最も大切なことであるだけに、大変に難しいことですね。私の一番の心配事がこのことなのです。

 

☆ 補足の独言

 孔子は論語の様々な箇所で、これらの大切なことを説き、自ら実践している様子が伝えられています。できていることはできている、できていないことはできていない、と客観的な目で明瞭(はっきり)と自己認識を行い、卑下もしなければ尊大にもならない。これが孔子の孔子たる本領でしょう。

 そうすると、「是れ吾が憂(うれい)なり」という言葉を自己反省の言葉と取るのは、如何(どう)にも違和感を禁じ得ません。それでこのように訳してみました。